Tuesday, January 8, 2013

父の本心を覗きたい

重松 清氏の”流星ワゴン”を読んでみた。
これは昨冬に知人がくれた小説なのだが一年間読まなかった。
先月、飛行機に乗るときに持って行って読むことにした。
小説は一度しか読まんので旅先で処分できる。荷物が増えないので丁度よいと思った。

読んでいて、私と年齢差が殆ど無い主人公とその父親を私と私の父に重ねた。主人公は父親を憎んでいて、家を飛び出している。主人公がお金に困らぬ生活をしていたら、危篤状態の父親のもとへは行かないはずである。(主人公は父から貰う足代と交通費の差額が目当てで通っていた。)
私の場合はどうだろうか?時々、私の父の臨終の際のことを考える。私はその時、父のもとへ駆けつけるのだろうか?行くべきだと考えるけど、本心は行きたくない。でも少しは行きたいとも思う。複雑な心境なのだ。”流星ワゴン”では夢(?)の中で主人公は30年ほど若返った父親と出会い一緒に主人公の過去の世界(主人公とその嫁と息子の世界であり、本当の父親は過去の世界では登場しない)を旅している。その中で二人はお互いの誤解(?)を解いてゆくのだが、そこが凄く羨ましかった。私の父も私の前では一切本音を出さない、ただ冷たいだけの人間にしか見えない。私は彼の本心を知りたいとずっと思っている。だから何度かは父に会いにいったこともある。でも、彼は決して自分を見せてはくれないだろう。もしかしたら臨終の時には示してくれるかもしれない。その前には和解はせずとも、彼の家族に対する心境を覗いてみたい。
結局今回の帰郷でも父を訪れなかったのは、少々悔いが残る。また、”流星ワゴン”は捨てずに持ち帰ってしまった。大事に取っておこう。




1 comment:

  1. 本当の自分が見えない人って多い。あるいは、無意識のうちに見たくないと思っている。お父さんが精神的に、あるいは霊的な成長を自ら求めるようになっていれば、連絡してくるかもしれないよ。会いたいって。今のところそういう動きがないのならば、彼は全く成長していないんだろうね。逆に成長した息子にあうのを恐れているかもしれない。貴方がそれにお付き合いして引っ張られることはないと思うな。お父さんを超えて成長し、逆に抱擁してやれるくらいでかくなろうよ。

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