Sunday, October 21, 2012

メニューに目を通したが、食指動かず。

今日は部屋の前におかれていた飲食店のテイクアウト用のメニューから英単語の勉強をした。


Sauerkraut ー>ホットドッグでソーセージと一緒にパンに挟まれて出てくるあれのこと。
今まで何度も食べてきたけど、その名称を今日まで知らなかったし気にもならなかった。

Italian Wedding Soup 、そういう名称のスープ。べジと肉が入っているらしい。食したことあるかな?

Mozzarella ->イタリアンチーズの一種らしい。

Foodborne Illness = Food Poisoning =食中毒

Iceberg Lettuce レタスの一種、アメリカで最も普及しているタイプらしい。
Romaine Lettuce レタスの一種、写真をみると確かにIcebergとは別種だなぁ。

croutons シーザーサラダに入っているサイコロ型のパンのことか!クルトン。


ハムやチーズの種類が沢山あったが、これは憶えられん。食べ比べないとわからないと思う。


Lb、幾つかは量をLbで表記してあるのだが、1Lbがどのくらいの量なのかピンとこない。
1Lb=0.45キロ=450グラムだけど、サラダが1/2 Lbってどのくらいだ??


思ったより、学習することが多くて恥ずかしいくらいだ。
しかし一番印象に残ったのは、Buffalo Wingsの価格だろう。
6個    4.95ドル
12個 7.95ドル
18個 10.95ドル
24個 15.95ドル??

6,12,18個のところは、沢山注文した方が一個あたりの値段が安くなる。
しかし、24個のやつはそうなっていない。12個を2つ注文した方が5セント安くあがる。
13.95ドルの間違いではないか???それともメニューにはない特典でもあるのだろうか?
どちらにせよ、まとめ買いしても安くなるとは限らない、という非常識な売り方がアメリカでは結構ある気がする。

Friday, October 19, 2012

統計の授業の準備がシンドイ

私の希望が叶って、今年のカリキュラムに統計のコースが導入された。
今まで統計を教えた経験がないので、やってみたいと思っていたので喜ばしいことだ。
私が学生時代に初めて受けた統計の授業を参考にして教科書に忠実に進めて行くつもりだった。
しかしこの統計のコースは毎週1回45分のコースとなった。
私の構想は週3,4回の授業だったので、非常に困った。

週1回の授業では、年間通しての授業回数は非常に限られ、一般的な統計のクラスで教えられる内容は到底カバーしきれない。
週1回しかないので、当初の構想を捨てた。統計の理論や計算はできるだけ省き、統計が如何に普遍的に応用されているかを理解してもらうことを主眼とした。

その結果、私は週1回の授業の準備に苦しむことになった。
教科書ベースに進めるなら、そこにある例や用語解説、数値算出方法などを説明することになり、教科書をよく復習すればそれなりの準備が可能だったろう。
しかし、統計の応用例を実際に探すとなると大分事情が異なってくる。

まず授業で生徒に興味を示してもらえる例が何かを考慮する必要がある。
昨日はボードゲーム"モノポリー”を取り上げたが失敗であった。
何人かはゲームを知っていたので興味を示してくれたが、他の何人かはゲーム自体を知らなかったので、授業に全くのってこなかったのだ。

また私が実社会のことに疎いという問題も顕かになってきた。
そもそも私が統計の応用例について興味を持ったことがあまりなく、教科書上の理論に満足していた感がある。だから私の頭には具体的な統計活用例の蓄積が殆どなく、応用される分野のバラエティに欠く。これが授業準備を難しいものにさせている。

そして週に一度しかないので、下手な授業をしてはいけないというプレッシャーが
毎日ある授業より強い。毎日あるクラスならば、ある程度の脱線やミスも挽回可能であるが、
週に一回だと、挽回は無理だ。

まぁ色々と書いてみたが要は私にはこのコースを講義するに十分な素地が出来ていないのだ。
己の力量不足を痛感させられる一年となりそうだ。

Wednesday, October 10, 2012

諸刃の言

大器晩成の士、と評価されたい。

その為には、高き志を持ち、死ぬまで精進し続ける。

私は祖父に”我、大器晩成す”と豪語しており、その口約束は守りたい。

言葉には呪力があるというのはあながち世迷言でもあるまい。
実際、私は自分で発した言葉で、自分自身の行動が制約されたり、逆に行動する気になったりするからだ。
恐るべきは、人に語った己の言葉なり。
上手く使いこなしたい。

Tuesday, October 9, 2012

自分ひとりの力によるものではなかった。

教員の仕事は個人プレイ的なのか、それともチームプレイ的なのか?
教室内では、同僚はいないわけで、教師一人でクラスマネジメントしている錯覚に陥ってしまう。
自分ひとりの力で、学生を教育している気になってしまう。
少なくとも私は強くその傾向にあると思う。
このように思い込んでしまうのは危険な兆候であると思う。
自分はしっかり仕事できているけど、同僚はやっていない、という思い込みに通じるからだ。
私もここで数年働き、自分の教育の成果については考えてはいたが、同僚の成果については完全に無頓着であった。学校という組織の中で働いてはいるが、完全に自分ひとりの世界に入ってしまっている。しかし、私一人の力でクラスルームを統率しているわけではないことに最近気づいてきた。
まず学校全体の規則がある。学校の規則に反する行為に対しては私は規則をもとに生徒を罰することが可能である。もし学校の規則がしっかりしていなければ、そういった実力行使が難しくなるだろう。
他の教員による教え(教科のそれではなく、授業の受け方、道徳、態度の躾けなど)、同僚の陰からの援護、といった見えない影響。 例えば私が授業中に私語を禁止にしたいとする。
このとき、自分にそれを徹底する力量がなかったとしても、他の先生の授業でそれが躾けられていれば、この禁止令は容易に敷くことが可能であろう。また、同僚が私のいないところで私に好意的な発言を学生に吹き込んでいれば、その分だけ私の指示や助言は彼らに好意的に受け止められやすくなる。逆に周りから私に否定的な言葉が吹き込まれていれば、その分私の言葉は学生に受け入れられにくくなっていることだろう。

思えば私は随分と組織や同僚から援護されているのだなぁと思う。
逆に私は中立的な発言しかしないようにしているものの、うっかりマイナスな発言をしていることもある気がする。そして同僚をサポートするような発言は殆どしていない。
そこにはチームプレイの精神は無いのだ。学校全体の教育レベルを高めるにはその精神が望まれるのは当然といえば当然だが、浅慮なる個人プレー大好きな私には中々の難題だ。
まずは、機会があるごとに同僚の仕事ぶりを評価するポジティブな発言をして、彼らの仕事環境を改善しようと思う。




Monday, October 8, 2012

なかなか着火しない。

土曜日に高校生のサッカーの試合を観戦した。
サッカーの試合の一部始終を観戦するのは、生まれて2度目である。
1度目は2週間前のこと。
そこでの我が校のプレイに好感を憶えたのだろう。
それが今回の観戦に繋がった。
今回の相手は、聞くところによると我が校は20年間全く勝利したことがない強敵らしい。
この日は序盤から激しい攻防戦で、前半は0-0で終了した。
後半は我が校は敵の攻撃を防ぎきれず結局4-1で敗れたが、試合終了まで熱中してみることが出来た。
後半始まって早々最初の失点をしてから、徐々に点差をつけられて残り10分ほどの段階で4-0になっていた。それでも最後までギブアップせずに執拗に相手のゴールを攻めて、残り数分でついにキャプテンのシュートが決まった。今までの相手キーパーの鉄壁ぶりを思えば、よく決めてくれた!って大いに溜飲を下げることができた。
4点差になっても最後まで闘争心を無くさず、執拗に攻める姿勢には驚嘆する。
私なら、間違いなく途中で試合を諦めていただろう。
もし我が校のキャプテンがそうしていたら、私を含めた観客は最後まで観戦や応援はしなかっただろう。
彼らの奮闘は私達を魅了した。
前半の接戦も素晴らしかったが終盤に見せた意地と勝利への執念はそれ以上に素晴らしかった。
終盤のキャプテンの意地を観る為に私はこの試合に足を運んだのだろう。
私も彼のもつ闘争心、根性、粘り強さ、熱気、といった特性を少しでも備えたい。
彼のように真剣に己と向き合っていれば、獲得できるはずだが・・・
可笑しいね、火を使えてこその人間だというのに。