Thursday, July 4, 2013

単語覚えようとして挫折気味

新しく記憶しようとしている単語が山のようにあるのだけど、中々頭に定着しない。
辞書に一度引いた単語には印をつけるのだが、
忘れたらまた同じ単語を調べる。で印があると、あぁ前に調べたのかぁ、とちょっと嫌な気分になる。とりあえず、印の上の別の印を設けて、調べた回数がわかるようにしている。
でも、何回も印を付け加えたくないから、効率よく単語を覚える方法を探さないと。

寝室のベッドの直ぐ横の壁に4枚ほどA4サイズの紙に書かれた単語表を貼ってある。
しかし、あまり効果がない。
何故かと言うと、ベッドに入ったら直ぐに電気を消すから見えないのだ。
また、起きたときも壁の方を見る時間もなく仕事に出かける有様。
失敗であった。

で、別の場所を思いついた。それは台所である。
台所で料理なんて殆どしないけど、食事はするのである。
そのときにきっと壁紙に目を向けることになるだろう。
もう一つの場所は洗面所である。歯を磨くときにきっと壁紙に目を向けるだろう。
早速実行してみようと思った。
しかし、単語を紙に書くのもしんどい。
そこで、エクセルに単語リストを作って印刷することを考えた。
これなら、何回も書き直す必要が無い。楽だ。
あっ、大事なことを忘れていた!
家では印刷出来ないんだった!!

Tuesday, July 2, 2013

今現在、最も力を注いでいること


6月の中旬から夏休み,塾の仕事を除けばほぼ一日中自由時間という夢のような状態だ。
でこの時間に何をしたいのかというと、色々とやるべきことをリストアップしてある。
数学の授業準備、ピアノ、英語の学習、経済の学習、運動、エクセルの勉強、ブログ。
でも日々継続できているのは3つだけ。英語の学習、エクセルの勉強、読書。
その中で今一番時間をかけて取り組んでいるのは英語だ。
6月下旬に入手したJames Gleickの"The Information"という本に取り組んでいるのだが、毎日3時間程度これに費やしている。
自分の読むペースをよく知らなかったので、3日ほどデータを取る
連続での読書は1時間程度が限界のようである。
そして1時間で15ページ近く読み進められることがわかった。
一日15ページのペースだと420ページの本を読破するには30日近くかかるので、一ヶ月で読破するという目標を設定した。
 
読む理由は英語力の強化、特に単語増強に主眼を置いているので、毎日読んだ15ページで登場する知らない単語や忘れた単語を丸印で囲い、その意味をアナログな辞書で調べる作業を読み返しながら行う。これがしんどく2時間はかかる。併せて3時間だ。
一日に3、4回にわけてこの作業をやる。現在読み始めてから12日が経ち半分近くの200ページを読んだ。
既にかなりの達成感がある(単語はあまり頭に定着していないが!)。一ヶ月で読み終えたら相当自分の力になっていると思う。そうしたら英語の本を自分から進んで読む気が増し、さらに英語力が鍛えられることだろう。
今からワクワクである。
 
 

Monday, July 1, 2013

試し買い

米がなくなったので、買いに行く。
田牧米が安売りセールであることを知っていたので、それが目当てであった。
最近米の消費が激しくなっていて、なんと一袋が一ヶ月半で尽きたのだ。
そこで2袋まとめて買おうという気が起こった。
田牧米を2つ購入でも良かっただろうが、どうせなら今までに試したことの無いブランドにしようと思った。一年ほど前にネットで調べ知った胚芽米というのが健康に良いというので、それを一袋購入してみることにした。

食べてみて、ふぅ、とため息をつきたくなった。
健康によいとはいうものの、味はいつもの白米の方が好みであった。
歯ざわり感にも少し抵抗感がある。思ったより美味しくない。
はぁ、これを一ヶ月半も食べねばならんのかぁ。
もう少しリスクを考えるべきだったかもしれない。
 
といいつつ、毎回同じものばかり購入する自分には嫌気が差していたところ。
時には色々な商品を試すべきと思っていたところにこの胚芽米だ。
実際には他にも今までに一度も買ったことの無いFacial Tissueを購入してみたりしたが、
胚芽米の失敗は痛手だ。リスクを考えて小さい袋にするべきだったかもしれない。
まぁ、一ヶ月半くらいは辛抱できるだろう。
好きな味ではないから、3ヶ月くらいこれかもしれない。
はぁ・・・。
 
 

Wednesday, June 26, 2013

とりあえず書く


自分でそう思う。でもとりあえず書くこと。
今は修正などに時間をかける気にはならない。
思いついたこと、ノートに残しておきたい自分の考えを断片的にでも書こう。
書き続けないとまたサボってしまうから。

それにしてもこういう手抜き文で何度かしのごうとするけど、直ぐに挫折すんだよなぁ。
まだ意識レベルに課題があるな。

Tuesday, June 25, 2013

未来世界への希望を持つこと


私は未来に対して否定的なイメージしか抱いていないようである。無学な私は将来を的確に予測できないけど、それだけでなく未来をより良い形にしようという意気込みが足りないからなのではないかと思った。

自分ひとりが頑張ったところで何も変わらないという思考が染み付いている。

この思考から一刻も早く脱出する必要がある。50年後や100年後の世界を少しでも良いものにするにあたって、自分は何ほどのことができるのであろうか。社会の中の自分、人類の中の自分、歴史の中の自分、そういう視点を持てば答え(対策)が見えてくるはずだ。またそういう視点で行動することが社会人としての務めだ。学校の使命が子供を一人前の社会人に育てることならば、まず私が一人前になっていなければ話にならない。

私が世界をより良くしようという思想を持たずにどうして学生に同じ思想を持たすことができよう?こんな人間が教壇に立っていたのでは子供も不憫極まりない。
なんとかしなければ。そう思いつつ時間がどんどん流れていく・・・。

Monday, June 24, 2013

問題意識


私は未来を見ていない。未来を切り開こうという精神が欠如している。

世界には大小様々な問題が混在しているということを近頃ニュースを読むようになって実感するようになった。前までそういった問題に見向きもしなかった。解決すべき問題が世界中に遍在しているというのに、私の頭の中にはそういったものが全くなかった。

だからかな、全く行動しない人間になってしまったのは。
高校や大学で一通り勉強したつもりだが、試験や課題では常に問題が与えられている。

私は問題解決にだけ頭を使えばよかった。でも問題解決の前に存在する“問題提起”の方が大切なのだ。問題がなければ解決はありえない。数学では定理を証明した人より定理を予想した人の方が評価されるという。フェルマーの最終定理、リーマン予想などはそういう類だろう。仮にリーマン予想が誰かに証明されても、リーマンの名前を超えることはないだろう。定理名にもリーマンの名前がつくのではないかな。

私はまだ自分の人生を通して取り組むべき問題を持っていない残念な人間である。だから本当の意味での活力を感じない。近年今までに見向きもしなかった物事に取り組むようにはなってきているのだけど、そこに問題意識はない。とりあえず経験する、情報を取り入れる程度のもの。確固とした目標があるわけではない。自分にとって解決すべき問題となっていないから、意義のある目標を立てられないわけだ。自分の命を賭けて取り組むべき課題をみつけるため、問題意識を持つように日常生活に取り組みたい。その為には自分の手で未来を変えるという信念を磨いておく必要がある。これも日々の蓄積が肝要なのだろう。

Friday, June 21, 2013

次の世代へという考え方

私は今も着実に死に向かって突き進んでいる。
死は人生の最終到達点だ。
それがいつになるのかはわからない。
でも満足できる死を迎えられるよう日々頑張ってゆきたい。

ところで、私は自分の死=世界の終焉という考え方をしているようだ。
相変わらず自分本位にしか物を見れていないわけだ。
だから自分が幸せならOk的に物事を捉えてしまうのだろう。
少し前にNASAの科学者の話が記事に出ていた。
読んでいて私が衝撃を受けたのは、現代の科学の凄さではその科学者の未来像だ。
100年後、500年後の世界の話をしている。天文学的な数字というほどでもないけど、500年後のことなんて私はイメージした事がない。それは自分とは一切関係のない世界という認識からだ。
でも彼らは違う。彼らは真剣に人類が太陽系外に進出することを夢見ている。
彼ら一代では到底成しえないことだろう。でもその500年後につなげるために日夜研究にいそしんでいるのかと思うと、自分とは全く異なる価値観に生きているのだぁと感嘆させられた。
私は数学一筋で生きていこうと漠然と思っていたけど、それが怖くなった。例えば双子素数が無限にあるのか、とか素因数分解の効率よいアルゴリズムとか、リーマン予想の証明とか取り組んでみたいなぁって思ったものは幾つかあったけど、自分の一生のうちに成果をあげられるのかという不安に克つことは出来なかった。でもここに出てきたNASAの科学者は自分一人で解決できなくても、答えに一歩ずつ前進することに命を賭けることができる人達なのだ。
私は自分が成果をあげる、そういう自己顕示欲の塊なのであって、純粋に人類の科学の発展に貢献するという考えは持ち得なかった。科学史の潮流の中に無数に存在する人々ではなく、その中の一部の大きな成果を出した恒星でなければ無意味だと考えていた。
たとえ自分が輝けなくても、他の人が輝く為の布石になることで意味を見つけられないのか?
他の人っていうのは、現代に生きる人だけなく、100年や500年先の人の入るということに気づかされた。死は私の最終到達点ではあるが、人類史にはまだ続きがある。
私はその続きにも責任の一端を持っていることを自覚しなければいけないのだ。
環境問題に真剣に取り組む人々の気持ちが少しわかった。

Thursday, June 20, 2013

ルールが変われば、プレイの仕方も変わる(2)

新学期、まず最初の授業でコースの概要、授業方針、成績のつけ方などを説明する。
私の通っていたアメリカの高校ではどのクラスでも例外なく成績のつけ方は明確に数値化してあった。
例えばこんな感じにである。

Final Exam               35%
Projects                    20%
Daily Assignment   20%
Class Participation 10%
Pop Quiz                     15%

そんで、結構定期的に現在の成績が通告される。大体はクラスの壁に名前を伏せた成績一覧表が張り出されていた。それにはそれぞれの課題で何点とったのか、をテーブルにして成績を出していた。それを見ながら”あぁ、今の成績はCか、期末で85点くらい取らないとBにならないなぁ”とか考えるわけである。

今日はこの成績のつけ方について考えてみる。
私の場合、成績は、期末試験、小テスト、宿題の3つでつけている。
問題はその比重だが、最初の頃は20%としていた。
数学はよくできる生徒と中々点を取れない生徒の点差が激しいのが理由だ。
努力してもテストで点が思うように取れない生徒を支援する為に宿題点という目に見える努力評価をしたかったのだ。
しかし2年くらいして、20%は大きすぎると感じるようになった。
宿題点の為だけに宿題をやる生徒が目に付くようになった。
他の生徒の答えをもらう、よく理解しないまま例題どおりの答え方をするなど。
勿論宿題以外の80%の方が大きいし、そこで得点できないと話にならないのだが、
残念ながら、そこまで考えてもらえない。目先の簡単に稼げる点数の為に努力して、本当に理解してテストでも得点できるように努力する人は多くない。
このところ宿題の比重を15%に落とし、期末試験の比重を大きくしている。
最終的には期末試験で高得点を取れる力が備わっていればいいわけだから、期末試験だけで成績をつけてもよいのだが、その場合生徒に相当プレッシャーをかけるし、チーティングの行われる可能性が高まる、数学だけ期末試験のウェイトが高すぎると他の科目の期末試験の勉強が出来なくなるなど、リスクが多い。

そもそも自分の理想とする授業スタイル、生徒に何を期待するかで、成績のつけ方が自ずから定まってくるだろう。それをまだ定められない私はまだ理想形が見えていないのだ。
成績の付け方は私のコースにおけるルールだ。ルールだけで生徒の動きをコントロールすることはできないけど、ある程度はコントロールできる。
正直なところ、私のコースの成績のつけ方より、大きな枠でのルール変更(改革)が必要だと感じているのだが今の私でその枠を動かす力は足りないだろう。まずは自分に与えられた権限だけで最高の結果を出せるようにしなくては全ては戯言として片付けられてしまう。一教員が持つ権限も相当に大きいからな。

Wednesday, June 19, 2013

ルールが変われば、プレイの仕方も変わる。

この前、久しぶりに大富豪というトランプゲームで遊んだ。
4人プレイで、今まで対戦した事のない相手ばかりだったので、まずはルールの確認をする。
私は学生時代に大分このゲームで遊んだことがあるが、その時に採用していなかったルールが2つ。一つ目は”都落ち”、2つ目は”2上がり禁止”や”特殊効果のあるカードでの上がり禁止”である。
これらのローカルルール付きで7戦することになった。
都落ちのルールは面白いと思った。
これのあるなしで各プレイヤーの戦略が大分変わってくるからだ。
なしの場合、各プレイヤーがリスクを冒してまで大富豪の出した強力なカードを打ち破ることは少ない。無理することで自分の立場が悪化し、順位を落とすことに繋がるからだ。一方大富豪は多少手が悪くても無理に一位を狙わず無難に2位狙いができる。だから一度大富豪になったプレイヤーは中々上位から落ちない。序盤に富豪、大富豪になったプレイやーが暫く上位に居座るので、何戦やっても順位の変動が起こりにくかった。
都落ちを採用すると、大富豪になったプレイヤーは一位の座を死守しなければいけない。一位の座を明け渡す=大貧民への転落、というルールだからだ。だから大富豪は2位狙いという無難なプレイはできない。また、他プレイヤーも大富豪を叩き落す為に無理して大富豪を落とすために切り札を使うこともある。また自分が上がれなくても、自分の隣のプレイヤーが上がりやすくなるようなプレイをして、大富豪にプレッシャーをかける作戦もでてくる。
同じ大富豪という名のゲームでも、ちょっとルールを変更するだけで、ゲームのプレイの仕方は大きく変わる好例だと思う。


この時、スペードというトランプゲームもやったのだが、この時はパートナーシップなしでプレイした。このとき私は一度宣言に失敗して、序盤でビリに転落した。しかし今回は短いゲームだったので挽回する機会があまりないと感じた私は、その後無理な宣言を何度か繰り返しては失敗してビリに終始した。しかし、もしお金か何か大事なものを賭けていて、しかもそれが順位だけでなく点数に応じて支払うことになっていたら、こんな無謀なプレイはまずしていなかったはずだ。ゲームの基本ルールを変えなくても、外的要因によりゲームの質は変わるわけだ。


最近NPBで統一球の使用変更の事実が隠蔽されていたことが明るみになったが、
使用するボールが変わることで野球というゲームのプレイの仕方が全く変わってしまうのだから非常にまずい話だと感じた。去年一昨年と異なるボールを今年は使っているわけで、去年までのルールとは異なるということだ。選手、コーチ、観客はそのルールを知らされないままゲームに参加していたということになる。都落ち"のルールが採用されているのに知らずに大富豪をプレイしている状態だ。ルール変更が通知されれば、選手達のプレイは変わる。コーチの指導、チームの方針も変わる。観客の試合の見方も変わる。トランプゲームの原理と同じだ。私の遊びとの違いは実物のお金が絡んでいるということだ。詐欺ってやつではなかろうか?







Tuesday, June 18, 2013

基本に立ち返る。

どんどん難しいことをやるより、基礎固めをしっかりやっておいた方が結局は早道であることは数学を教えていてよく感じることで、私も自分の勉強にそれを応用しようと思った。
何事も基本が大事、
ということで
エクセルの使い方には自信を持つ私だが、あえて入門書に手を出してみた。

まぁ流石に知っていることが多くて飛ばし読みするページも結構あったけど、第一章は学ぶことが多かった。今回学習したことをいくつか列挙すると、

セルに分数を入力してそれをそのまま表記させる方法、
入力したものが表示されないようにするテクニック、
すぐにわかることだけど自分では一度も使ったことのないコマンドの使い方と使い道、
便利そうなショートカットキーをいくつか、
チャートのうまい見せ方、
NPeriod Moving Averageの概念と使い道、

など思っていたより学ぶことが多くてよかった。
今週から、これの上級版を読み始めます。



http://www.amazon.com/Learn-Excel-Essential-Skills-Method/dp/0955459923/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371337262&sr=8-1&keywords=excel+2007

Monday, June 17, 2013

理想の社会をイメージする。

具体的な形はわからないけど、私は漠然と理想的な社会のイメージを持っている気がする。
でも、現実世界とそれは乖離しているわけで、それに直面するたびにちょっとした絶望感を持つ。
優秀な人なら、ここで絶望ではなく、よりよい方向に変えていこうと努めることだろう。
私も小さな範囲では努めるようにしているつもりだ。
でも地球規模の問題に立ち向かうほどの度胸も知恵も持っていない。
今から持つことは可能なのか?

自分の理想とする社会を明確にイメージできれば、頑張れる気がしなくもない。
自分から発信する何かを持たなければなるまい。
でなければ、このブログもゴミにしかならないし、私の人生も塵芥にしかならない。

理想の社会についてよく考えてみよう。
そしてそれの実現方法も・・・。
あぁ、でも日々の仕事で忙殺されているとそんな事忘れちゃうんだよなぁ。
哀しきサラリーマン人生だ。





Sunday, June 16, 2013

加速し続けて・・・・

岩波ジュニアからでている”地球を壊さない生き方”という本を読了。

こんな本を読むと私はやっぱり人間は醜いとしか感じることができない。
どうやって世界をより良くしてゆくべきかについて考えることができない自分が情けない。
とても短絡的な答え、人類滅亡してもOkじゃない?って思ってしまう私はとてもこの厳しい世界で生き残ってゆけない気がする。

資本主義は必ず廃れると思う。いつになるかは解らないけど、ひとりひとりが己の利のみ追求する限り根本的な構造は変わらない。人間はとても刹那的にしか生きていない。先進国では、非常に高確率で高齢まで生存できるのにもかかわらず、遠く先のことまでは見通すことをしない。いや、できない。
今の時代の変化の早さでは、どんなに先見の明のある人でも将来を正確に見通すことは無理かもしれない。一昔前の変化の少ない時代ではそんなことはなかったろう。しかし変化は人間にとっては宿命。
どんどん増大している変化率・・・行き着く果ては?




http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%82%92%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A7%8C%E7%94%B0-%E5%8A%AD/dp/4005001793/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371335440&sr=8-1&keywords=%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%82%92%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%AE%E6%9C%AC

Saturday, June 15, 2013

よくわかっていないのにお金を出す馬鹿。

去年から403Bという年金制度に入っていて、毎月100ドル程度手取りから引かれているのだが、
実際その仕組みがよくわかっていない。
とりあえず払っているだけで、よくよく考えてみると阿呆である。
ちょっと仕組みについて調べる必要があると思った。
まず、家にある英語の長いパンフレットを読んでみることにした。
それでもよくわからなかったら電話かなぁ、といったところ。

税金も自分がいくら支払っているのか、それがどう使われているのか、
調べたことも考えたこともない。
一体私は一年間にどのくらいの税を納めているのかなぁ。
収入はたいしたことないから、税も大して納めてないだろうけど。

クレジットカード会社には、保険か何かで毎月わけもわからず13ドル程度引かれているし。
実は意味もなく払わされている気もする。

もっとお金について考えないといけないなぁ、と経済誌を読みながら感じた今日一日であった。


とりあえず今日初めて知ったことは、年金支給が20XX年の某月からスタートするということだけ。
でも、いくらになるのか見当もつかない。


Wednesday, April 24, 2013

再開することが難しい。

一昨日のことだが、久しぶりに早起きした。
ハーフマラソン後、しばらく足を痛めてしまっていて運動する気が起こらなかったが、
そろそろ回復してきていたので、また練習を続けねば、と思っていた今日この頃であった。
しかしこの朝は結局走らずに別のことに時間をつかってしまった。
まだ私の行動習慣は怠け者のそれと変わらない。少々自分自身に落胆する出来事であった。
2週間も休んでしまうと、再開させるのも一苦労だ。
学校の仕事で忙しくて、英語の学習やピアノ、そしてブログを休んでしまったが、
どれもこれも再開するのが億劫になってしまった。
これではいかん、と思いつつも中々再開できなかった。

走りたくないけど、全て再開するのだ!

Tuesday, April 23, 2013

完走

2週間前にハーフマラソンに初出場した。
ハーフマラソンは13.1マイル(21km)
練習の段階では結局30分以上走ることは無かった。
距離にしたら3マイルもないだろう。
練習を開始する前は3分走ればヒィヒィ状態だったので、これでも進歩したほうだと自分自身を納得させていた始末だ。

こんな練習量だったから、当日自分がどのくらいまで走れるのか全く解らなかった。
一週間後にとても大事な仕事があったから、無理せずに30分走ったらあとは走りと歩き(または休憩)をはさみつつゴールに行こうと思っていた。

そして当日。
どのくらい耐えられるのか不明だったが、とりあえずできるだけ体力温存しながら走るよう努めながら走り出す。最初からどんどん追い越されていくが、全く気にならず自分のペースを崩さぬようのんびり走った。走り始めてから最初の給水所についたときには左腕に痛みを覚えていた。あまり左腕が振れなかったが、これは走りのせいというよりは前日の寝相が悪かったのではないかと思った。

走り始めてからはあまり調子良いとは思えなかったが、2つ目の給水所に到着したときには、思ったより走れている自分に驚いていた。まだ余力を感じた。まぁ、手前のランナーが少し走っては歩きを繰り返していたのにそれを抜けないくらいのスピードで走っていたんだが。

2つ目の給水所の後に坂らしい坂が登場した。私は下り坂では出来る限り足に負担をかけたくなかったので、ペースを落とした。逆に上り坂では意外にペースを維持して走りとおすことができた。私のいた集団のランナーは殆ど上り坂では歩いていた。この段階で私はまだ2,3マイルしか走っていないと思っていた。まだ走れる状態だったし、給水所は一マイルおきくらいにあると思い込んでいたからだ。しかし、2つ目の給水所の後で"5"という数字を見たとき”まさかあれは5マイル地点”の表示なのか?と驚いていた。自分が5マイルも走れるとは思っていなかったので、レースとは関係ない別の表示だったのではないかと疑いながら、しかし”5マイル”だったらいいなぁと思いながら走り続けた。

暫くして”6”をみて、付近の応援客が”もう半分きてるよ”って声をかけてくれたときに、ようやく自分がハーフマラソンの半分も走ったのだと理解した。この段階で足が疲れてきていたが、半分もきたのなら、完走できるかもしれないという思いがここで初めて生じた。当初の走りと歩きを交互に繰り返しながらという考えを封印して、できるところまで走ろうと覚悟した。

8マイル地点で苦しくなってきた。足が痛くて、ストップしようかと思うようになった。ペースが序盤よりさらに遅くなったがそれでもゴールの公園が近くにあることは何となく感じていたので、踏ん張ることにした。今回のコースはスタートの公園をぐるっと一周してから市街地へ出て最後にはスタートの公園に戻ってくるものだったので、スタート地点に近づくにつれ、”あと少しだ、ここで止まってしまったら後悔するぞ”という思いがどんどん強くなっていた。

ようやく公園に戻って来たとき、既にフィニッシュしていた同僚(このレースに私を誘ってくれた人物)が声援を投げかけてくれた。公園でゴールと思っていた私は彼の”あと2マイルくらい”という言葉にショックを受けた。そろそろゴールかなぁと思っていたら、あと2マイルもあるとは!!

この最後の2マイルはしんどかった。何度も止まりそうになった。何度も走る格好だけで足踏みしている状態になった。しかしここで止まってしまったらもう二度とマラソンに参加することはないだろうと私は思っていた。私はそういう人間なのだ。それは嫌だった。残り少しのところで心残りするようなことは避けたかった。絶対にそんな後悔はしたくなかった。その思いだけで走り続けようとした。
13マイルのうち、10マイル、11マイル、12マイル、そして12.5マイル走っておいてそこで歩きだしてたまるか!結局、フィニッシュラインまで何とか走り続けることができた。

2時間30分と数十秒走った自分に驚きである。
練習ではその5分の1しか走っていないのだから!
これならフルマラソンもいけるだろう。多分。

今回学習したこと:
1.自分は意外に運動できること。
2.無謀と思えることでも、いざ取り組んでみると出来ちゃったりすることがあることを体験した。
3.自分ひとりで走るときは途中で直ぐに止めちゃうのに、レースの場では他のランナー、応援する人達、同僚の激励、参加費自腹、など様々なものが自分を限界まで引っ張って行ってくれる。環境の違いだろうか。自分が生きる環境さえ上手く選べば自分をもっと成長させることができるだろう。
4.沢山走った後は、めちゃくちゃ咽喉が渇くし、腹も減る。この日は一日中お腹を空かしていたような気がする。まぁ、逆に日常少食で済んでいる私は精一杯生きていないのだろうなぁ、と反省した。




Tuesday, February 26, 2013

x>”5” かつ x<”0”を満たすものは?

数学では2は特別扱いを受ける。

n乗根の記号は√の左に小さくnを書くのが一般的だが、n=2のときは書かない。

2次式は高校数学で大分詳しく扱うが、3次以降はあまり詳しくは扱わない。
2次式は解の公式を習うけど、3,4次の公式は見ることすらないだろう。

nが3以上なら、n角形というものがあるけど、2角形は存在しない。(1角形もないけど)

2x2=2+2 (こんな数は他には0だけ。正の数に限定すれば2のみ)

2=2! (こんな数は他は1だけだろう)

V-E+F=2 (凸多面体ならば)

素数の中で2だけが偶数である。

2月だけ30日までない。

トランプゲーム、大富豪では2はAより強い。
また、ポーカーの変則ルールで2がジョーカー扱いになることもある。
戦争では2は最弱だが、最強のAに打ち勝てる。
ナポレオンではセイム2という特殊なルールがあり、やはり2は特別扱いだ。


私の職場では二連休という言葉を耳にすることはない。
普段は土日が休みだからだ。
連休という言葉は3日以上のときにしか聞かない。
でも実はほぼ毎週末、連休なのだ。週末に仕事が入ることもあるが、休みの事のほうが多い。
二連休という言葉が存在しないとはなんと恵まれた職場なのだろうか!

さて、題名の答えだが、勿論答えは2だ。
ジャンケンの勝負手で見せる指の本数だ。
X>Yで、勝負手Xが勝負手Yに克つことを表し、引き分けをX=Yとすると、
”5”>”0”、”0”>”2”、”2”>”5”


Monday, February 25, 2013

カンニングと罰

宿題の採点をしていて、よく似た答案をみつけてしまった。
比較してみると、明らかな書き写しであった。
書き写しをする生徒も、書き写させる生徒も残念だが、もっとも残念なのはそういうカンニングをできると生徒に思わせてしまっている私自身のほうである。
私が受け持つ今年度のこのクラスに対して、私はカンニングをする生徒はいないであろうという思い込みがあった。隙を衝かれた気分だ。
どんなに評判の良い生徒達でも油断してはいけないことを思い知らされた。
カンニングをさせない環境を作り上げる努力を怠ったせいでこういう不幸が訪れる。
しかしだからといって今回のカンニングを黙認はできない。
黙認は、私の倫理が許さない。許せば、私自身が崩壊するだろう。
今回の事件の遠因は私の指導力不足によるもの。しかし、罰されるのは私ではなく生徒だとあたりに責任転嫁のようで葛藤する。これは、どうしたものだろうか。私自身も罰するしかないな。
どれほどの罰が妥当なのだろう?






Tuesday, February 19, 2013

どうやって学習意欲を掻き立てる?

教え子の学習意欲も喚起できないとは・・・
教壇前に立っていくら数学の講義をしようとも、学習意欲を掻き立てられなかったら、
私の授業は茶番なのだ。
うわべだけ繕った授業、それこそ私が学生時代に忌み嫌っていた学校だ。
私はときどき、黒板に数式を書き並べながらそのことを意識しては自嘲してしまう。

学習意欲を促すには私が数学の問題を解けて、解説できるだけでは足りない。それはわかる。
だから、最近は数学以外の分野の知識などを取り入れるよう意識するようになった。
しかし、まだ足りない。人生経験が決定的に足りないか。
読書だけに頼らず、もっと積極的に行動して自分だけの経験をたくさんするのが解決策かなぁ。
時間かかるなぁ。

もっと小手先の技術でも習得する方がよいか?気乗りはしないけど、これも多少は必要か。

Sunday, February 17, 2013

ハーフマラソン

今年の初めに、弟が今年はハーフマラソンに出場すると言った。
おぉーすげぇな!まぁ頑張ってくれ、と自分には関係ない話・・・はずだった。

弟の挑戦心に比べて、私のそれは情けなさ過ぎるわけだが、
そのことを周りの人にいうのだから、情けないどころではない。
まぁ、運動に関しては私は徹底的に駄目な人間であるように見せたがっているからな。
数学で無能と思われたら仕事に支障をきたすが、運動面で無能と思われていても何の支障もないからね。

しかし、周りに弟のハーフマラソンの話をしたせいか、同僚の一人から一緒にハーフマラソン出よう?と誘われてしまった。完走する自信など皆無だが、練習して出場することには意義はあるだろうと思う。非常に辛そうだが、トライしたくない。でもトライするべきだろう。
マラソンに対する意識を植え付けやがった弟と声をかけてくれた同僚には感謝せねばなるまい。
自分ひとりでは絶対に始動しなかっただろうからね。

でも4月まで2ヶ月も無いぞ。大丈夫かなぁ。





Sunday, February 10, 2013

”英語教師のNGワード” by 阿部 一

阿部 一著の”英語教師のNGワード”を読んだ。

なかなか手厳しい箴言が多くて、気軽に読もうとした自分を愧じた。
タイトルは”英語教師の~”だが、”数学教師の~”にしても十分通じる。

全部で24のNGワードが解説されてあるのだが、唸らされたものを幾つか取り上げると、

”これは覚えておきなさい”

”何回か練習してみなさい”

"何か質問はないか?”


このところ文化祭準備のことで頭が占領されており、授業準備が疎かになっていたことを思い知らされた。また今まで自分でよく考えもせずに”NGワード”を発言していたことも反省すべき点として頭に留めておかなくてはいけない。
私はしっかり生徒の学習成果が上がるような工夫をしているか??
否!最近、黒板と問題集に頼りすぎで、自分の発する言葉の影響力(また影響のなさ)に頭が回っていなかった。
自分の授業スタイルを見直すことにしよう。

Friday, February 8, 2013

思い込みから抜け出すんだ!

このところ私の睡眠時間が短縮されている。

とはいっても、常人よりは寝ているかな、毎日7時間程度だ。

私は平日8~10時間くらい寝るのが普通だから、大分削っている。

夜に7時間しか眠らない日もあるが、そういう時は昼寝で補うか、次の晩に沢山寝ることが多い。

しかし、このところはそれもない。

私は常人より沢山寝ないといけない、というのは単なる思い込みかもしれない。

正直日々疲れは感じるが、もう少し続けて、7時間睡眠が当たり前と感じられるようになりたい。

今の私なら出来るはずだ!と別の思い込みをかけておこうっと。

Wednesday, February 6, 2013

金<評価<生き様???

夏休みの間塾の夏期講習の仕事をしようかどうか迷っている。
そしてその迷いの原因は時給の多寡である。
もし時給が魅力的なら仕事をとるが、そうでなければ自分の自由時間を選ぶだろう。
金銭に敏感になってきた自分自身を褒め称えるべきか、
それとも金銭に意地汚くなってきた自分自身を見つめなおすべきか。
金銭で動く人間にはなりたくなかったのではなかったか!?

まぁ時給自体は上がった場合でもあまり差はでないだろうが、
自分の仕事がそれなりに評価されたら、じゃ塾の為に頑張ろうか!という気になるだろう。
私は時給より評価の方を意識していると思う。

私を雇う側からすれば、さぞ扱いやすいことだろう。
何しろ、適当に褒めておけば、やる気出して働いてくれるんだからなぁ。


でも、自分の中にこの仕事を完遂したいという気持ちもあるから、私は働けているのだと思う。
金や評価に踊らされてたまるものか!
私の価値観に反するものなら、金も評価もきっぱり捨ててみせる!



Monday, February 4, 2013

手土産をもってゆく

先週の話。
パーティーに参加しました。
手料理を持ってくる人、ワインや酒を持参してくる人、デザートを用意してくる人、など
手ぶらで来る人はいない・・・・私を除いて。

パーティーの幹事に何も持ってこなくていいよ、と言われて本当に何も持っていかない私は頭がどこか普通じゃないのかもしれない。

しかしただより高くつくものはないとはよくいったものだ。
パーティーで何も支払わずに飲み食いしたわけだが、パーティー終了後の後片付けをやる羽目になるのです。やっぱり何も持っていかないと負い目を感じるもので、後片付けくらいはやらないとなぁ、って気持ちになります。今回はその後片付けに費やした時間は1時間くらいだったと思うが、ワインの一本でも持参していった方が賢いと思った。そうしていれば、後片付けまでパーティーに残る必要がない分、自分の自由時間を確保しやすい。(私はパーティーはあまり好きではなく、長時間いるとストレスを感じる。)またパーティー中に心の負担なくもっと気軽にみんなが用意してくれた食べ物を楽しむことができるだろう。当然後片付けの仕事もせずに済むだろう。
時は金なり、手土産一つで手に入れられるものは結構多いことを痛感した一日となった。

Saturday, February 2, 2013

偽りの言葉をはっしてはおるまいか?

説得するとき、言葉だけでは無力である。

如何に古人の名言を吐こうとも、口先だけで説得される例はあまりないと思う。

私の身なり、表情、経歴、行動、そういったもの全てから私の発する言葉が評価されている。

書いておいてなんだが、私は身なりを改善する気はさらさらない。

表情を繕うことは可能か?ある程度は私でもできると思うが、一時しのぎ的な技術に過ぎまい。

過去の経歴は今更変えようがない。これからの経歴をできるだけ魅力的なものにするしかない。

私の説得力を高めるには、まず自分の行動で示すことだ。

ルールを守らせるには、自分がルールを守ることだ。

勉強の大切さを説くには、自分が常に勉強することだ。

行動を促すには、自分から行動をおこすことだ。

そうして初めて、私の言葉に力が宿りだす。本物の言葉になるのだ。

今の私はどれほど本物の言葉を発しており、どれだけ偽りの言葉を発しているのか?

これは嘘発見機では発見できまい。偽りの言葉も自分では本物だと勘違いしているからなぁ。



ところで最近の私は饒舌すぎるきらいがある。

自分では真剣に話しているつもりでも、気づくと中身のない会話に終始していることが多い。

先日、弟に私と一度対談してみたいといわれた。

どうやら私は真剣に話しておらず腹のうちを全くみせていないと思われてしまっているようだ。

そうかもしれない。話しているつもりだけな気がするな。これも勘違いってやつだな。


真剣に自分の発する言葉を分析してみるのも悪くないな。(これも偽り!!?)






Monday, January 28, 2013

人前で演奏して助言を受ける

2週間ほど前かな、私にしては珍しく人前でピアノで演奏した。
以前に比べればマシになったとは思うが、私は自分の弱点を人には見せまいという意識が常人より高いと感じている。だから人前で稚拙な演奏など披露したくない。
でもやった。少しは自分の腕に自信をつけてきたことが一因か。
そして、”ペダルワークをもっと丁寧にやるべき”というような助言を貰った。
うーむ、一人で練習していたら何ヶ月やっても気づかないことかもしれない。
やはり初心者はどこを意識して勉強するのかよくわからないから、適度に人からアドバイスを貰うようにしたほうがいいのかもしれない。アドバイスは貴重だ。その一言で暫くは練習意欲が出るし練習効率が良くなる感じがする。このところ練習しても進歩を感じられず悩んでいたが、これで暫くは悩まずに済みそうだ。大分前には弟に”肩が力んでいる”と注意されたことを思い出した。私が先生以外の前で演奏して助言を貰ったことはそれくらいしか記憶にない。人前で演奏するには勇気が要るから、殆ど人前でやらない。結構損しているなぁ。

こんなわけだから、数学の成績がイマイチなのに私の補習や助言を拒む人の気持ちはよく理解できる。私の前で数字のメロディを奏でるのに大きな抵抗がある人は私と同じなのだ、きっと。
まずは私がこの問題を乗り越えないと、彼らに偉そうなことは言えない。
手本を示せるように意識を改善したい。


ちなみに自分にとって大事ではない事ならいくらでも自分からいくらでも卑下できます。
例えば、歴史の勉強苦手です、バスケシュート全く入りません、とか事務的な仕事苦手ですとか、酒飲めませんとか。その辺で小馬鹿にされても私自身と関係ないから傷つくことはないのです。
逆に自分がそれなりに時間と労力を注ぎ込んだものは私の血肉の一部ですから痛いのです。

Saturday, January 26, 2013

さらば、インテグラ

出会いは2004年の独立記念日。
その日はたしか、幾つかの車を試乗する為に近所の中古車ディーラーを見て回った。
ひと目見て気に入ったのは、白の2ドアのカローラだったと思う。
しかし、運転してみてあまりパッとしなかったので他にもないか探すことになった。
幾つか試乗した結果、青のハッチバックのインテグラが最も運転していて心地良かった。
しかし私はハッチバックの形もあまり好かなかったし、ボディの色も好きではなかった。
白のカローラのことがまだ気になっていたが、父に即決を迫られ、結局インテグラに決めた。


インテグラは私にとっては2台目の車だが、初のMT車である。
買った時点で15年落ち、走行距離14万マイルの車だった。
それから私は8年半ほどこの車を運転した。
まだ走行距離は19万マイルの直前だからあまり運転していない。
4年前にカリフォルニアからニューヨークまで大陸横断した後は故障続きで、特にバッテリー関連の問題に何度も悩まされた。
私が今の職場で働き終えるときまで頑張ってもらいたかったが、これ以上修理費を出したくないなぁと思うようになった。まぁ、今の職場に予想以上に長く残っているからな。
しばらくNYに残る予定なので、別の車に乗り換えることにした。
まだ購入していないけど、予算は$5000~8000である。
インテグラは$2300くらいだったから、我ながら随分予算を高くしたものと感心する。
しかし、私はまたそれがダメになるまで乗り換えることはないだろうと予想する。
私が買い換えるという労を惜しむのも大きな理由だが、私は変えることに心理的に大きな抵抗があると思うからだ。保守的すぎて私はあまり色々なことを愉しむことなく一生を終えることになりそうだ。でも私はそういう頑固さをもつ自分が好きなのだからしようがない。
さて、この想定外の出費を埋め合わせるには、この夏は働くしかあるまい。




Thursday, January 10, 2013

恐るべき弟

段々弟を怖れるようになってきた。
彼は私が彼くらいの歳だったときとは比べ物にならないくらい視野が広い。
自分の将来についてよく考え、かつ目標に向かって邁進している感がある。

私が引け目を感じる点をリストアップしてみる。

1.人間観察力と対人スキル。
私が学生時代にかなり限定されたコミュニティでしか活動していなかったのに対し、彼はもっと幅広く他者と交流していたのは間違いない。私は何の部活動もせず、パーティの類には一切参加しない。さらに、友人と一緒に食事に出かけることも稀であった。また、私は弟をあまり観察してこ無かったのに対し、彼は中々よく私を観察しているようである。この経験の差はかなり大きい。
また彼は人から学ぼうとする意欲が旺盛である。逆に私は人に教えを乞うことが苦手である。
大分その苦手意識は払拭されたが、弟の積極性にはまだ敵わない。

2.自己への投資
私はケチである。倹約家とは違う。些細な出費に対してすら心に強い抵抗があるのだ。
お金を貯めるのが好きというわけでもない。積極的に稼ごうともしない。
私のもっとも嫌う人は稼ぐ力はあるが、人間性には大いに問題があると私は感じている。
彼に対する感情が私のお金に対する価値観を歪めているのだと思う。まぁ、病の一種だろう。
一方、弟は積極的に自分のスキルや人脈の為に躊躇い無く投資することができている。
日々の学習量は彼のほうが私の数段上なのではあるまいか?
そう思うと、私も努力しなければいけないと考える。また自分への投資を恐れずに敢行できるよう心の持ちようを改善せねばなるまい、と。
まぁ、これもここ2,3年出費に大しての抵抗が大分和らいできたので、いずれ弟に対する引け目も無くなってゆくはずである。少なくともこの点においては。

3.行動の早さ
私が近年常に意識していることだが、彼も意識しているようである。彼は生まれつき行動が早い性質ではないと思う。しかし意識して思い立ったら即行動するよう心がけているようである。彼のほうが私より大分前から意識しているし、実際彼の行動は私より大分早い。身軽なのだ。

と、まぁこれくらいか、パッとおもいつくのは。
私の観察眼に磨きがかかれば今の私には認識できぬ彼の特長も見えてこよう。
身近にこのように私に刺激を与えてくれる人物がいるというのは幸せなことだ。
私が己を磨き続ける限りは幸せなはずだ。逆に私が立ち止まったら、彼は手の届かぬ世界の住人となってしまうだろう。それはなんとしても避けたいおぞましい未来像だ。
今年も頑張るしかない!

Tuesday, January 8, 2013

父の本心を覗きたい

重松 清氏の”流星ワゴン”を読んでみた。
これは昨冬に知人がくれた小説なのだが一年間読まなかった。
先月、飛行機に乗るときに持って行って読むことにした。
小説は一度しか読まんので旅先で処分できる。荷物が増えないので丁度よいと思った。

読んでいて、私と年齢差が殆ど無い主人公とその父親を私と私の父に重ねた。主人公は父親を憎んでいて、家を飛び出している。主人公がお金に困らぬ生活をしていたら、危篤状態の父親のもとへは行かないはずである。(主人公は父から貰う足代と交通費の差額が目当てで通っていた。)
私の場合はどうだろうか?時々、私の父の臨終の際のことを考える。私はその時、父のもとへ駆けつけるのだろうか?行くべきだと考えるけど、本心は行きたくない。でも少しは行きたいとも思う。複雑な心境なのだ。”流星ワゴン”では夢(?)の中で主人公は30年ほど若返った父親と出会い一緒に主人公の過去の世界(主人公とその嫁と息子の世界であり、本当の父親は過去の世界では登場しない)を旅している。その中で二人はお互いの誤解(?)を解いてゆくのだが、そこが凄く羨ましかった。私の父も私の前では一切本音を出さない、ただ冷たいだけの人間にしか見えない。私は彼の本心を知りたいとずっと思っている。だから何度かは父に会いにいったこともある。でも、彼は決して自分を見せてはくれないだろう。もしかしたら臨終の時には示してくれるかもしれない。その前には和解はせずとも、彼の家族に対する心境を覗いてみたい。
結局今回の帰郷でも父を訪れなかったのは、少々悔いが残る。また、”流星ワゴン”は捨てずに持ち帰ってしまった。大事に取っておこう。




Monday, January 7, 2013

日常から良い例題探しをせねば!

今まで授業中に数学の例題を出すときには面白くも無いどこにでもありそうな例題で済ませていたが、改善の余地はありそうだ。もっと生徒を惹く力をもった例を用意するようにしたい。

三角比:

地平から東京タワーとスカイツリーの頂が見えるところから、
東京タワーまでの距離とスカイツリーまでの距離を三角比を用いて求められる。
そこから余弦定理を用いて東京タワーからスカイツリーまでの距離を求められる。

数学IIの三角関数の例題にはタイムリーでよいのではないか?
築地で寿司を食べたあとにスカイツリーを眺めながらそんなことを思っていた。
しかしスマホがある人にはどうでも良い話になってしまうか。
すると、GPSがどうやって現在地を算出しているかまで説明することになりそう。



If-Then:

マリオさんがある?ボックスを叩くと・・・、

ちびマリオさんのときは、スーパーキノコが出てくる。(逆も真、のような?ボックスとしておく)
スーパーマリオさんのときは、スーパーフラワーが出てくる。 (逆は偽)

他に誰もが知っているゲームはないかな?


部分集合:

中国の言い分:
尖閣諸島が台湾のものならそれは中国のものである。
何故ならA ⊂ B かつ B ⊂ C なら A ⊂ Cだからである。つまり、

尖閣 ⊂ 台湾 かつ 台湾 ⊂ 中国 -> 尖閣 ⊂ 中国

政治家は高校1年で習う集合を理解していなければならない、ということでしょうか?


Saturday, January 5, 2013

身につけたい言葉

身につけたい、実践したい言葉:

チームプレイ、
雄弁は銀、
嘘も方便、
健康第一、
即行動、
継続学習、
社会奉仕、
文武両道、
忠孝両全、
一期一会、
人の振りみてわが身を直せ、
金は天下のまわりもの、
災い転じて福と成せ、
塞翁が馬、
笑う門には福きたる、
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。