Tuesday, February 26, 2013

x>”5” かつ x<”0”を満たすものは?

数学では2は特別扱いを受ける。

n乗根の記号は√の左に小さくnを書くのが一般的だが、n=2のときは書かない。

2次式は高校数学で大分詳しく扱うが、3次以降はあまり詳しくは扱わない。
2次式は解の公式を習うけど、3,4次の公式は見ることすらないだろう。

nが3以上なら、n角形というものがあるけど、2角形は存在しない。(1角形もないけど)

2x2=2+2 (こんな数は他には0だけ。正の数に限定すれば2のみ)

2=2! (こんな数は他は1だけだろう)

V-E+F=2 (凸多面体ならば)

素数の中で2だけが偶数である。

2月だけ30日までない。

トランプゲーム、大富豪では2はAより強い。
また、ポーカーの変則ルールで2がジョーカー扱いになることもある。
戦争では2は最弱だが、最強のAに打ち勝てる。
ナポレオンではセイム2という特殊なルールがあり、やはり2は特別扱いだ。


私の職場では二連休という言葉を耳にすることはない。
普段は土日が休みだからだ。
連休という言葉は3日以上のときにしか聞かない。
でも実はほぼ毎週末、連休なのだ。週末に仕事が入ることもあるが、休みの事のほうが多い。
二連休という言葉が存在しないとはなんと恵まれた職場なのだろうか!

さて、題名の答えだが、勿論答えは2だ。
ジャンケンの勝負手で見せる指の本数だ。
X>Yで、勝負手Xが勝負手Yに克つことを表し、引き分けをX=Yとすると、
”5”>”0”、”0”>”2”、”2”>”5”


Monday, February 25, 2013

カンニングと罰

宿題の採点をしていて、よく似た答案をみつけてしまった。
比較してみると、明らかな書き写しであった。
書き写しをする生徒も、書き写させる生徒も残念だが、もっとも残念なのはそういうカンニングをできると生徒に思わせてしまっている私自身のほうである。
私が受け持つ今年度のこのクラスに対して、私はカンニングをする生徒はいないであろうという思い込みがあった。隙を衝かれた気分だ。
どんなに評判の良い生徒達でも油断してはいけないことを思い知らされた。
カンニングをさせない環境を作り上げる努力を怠ったせいでこういう不幸が訪れる。
しかしだからといって今回のカンニングを黙認はできない。
黙認は、私の倫理が許さない。許せば、私自身が崩壊するだろう。
今回の事件の遠因は私の指導力不足によるもの。しかし、罰されるのは私ではなく生徒だとあたりに責任転嫁のようで葛藤する。これは、どうしたものだろうか。私自身も罰するしかないな。
どれほどの罰が妥当なのだろう?






Tuesday, February 19, 2013

どうやって学習意欲を掻き立てる?

教え子の学習意欲も喚起できないとは・・・
教壇前に立っていくら数学の講義をしようとも、学習意欲を掻き立てられなかったら、
私の授業は茶番なのだ。
うわべだけ繕った授業、それこそ私が学生時代に忌み嫌っていた学校だ。
私はときどき、黒板に数式を書き並べながらそのことを意識しては自嘲してしまう。

学習意欲を促すには私が数学の問題を解けて、解説できるだけでは足りない。それはわかる。
だから、最近は数学以外の分野の知識などを取り入れるよう意識するようになった。
しかし、まだ足りない。人生経験が決定的に足りないか。
読書だけに頼らず、もっと積極的に行動して自分だけの経験をたくさんするのが解決策かなぁ。
時間かかるなぁ。

もっと小手先の技術でも習得する方がよいか?気乗りはしないけど、これも多少は必要か。

Sunday, February 17, 2013

ハーフマラソン

今年の初めに、弟が今年はハーフマラソンに出場すると言った。
おぉーすげぇな!まぁ頑張ってくれ、と自分には関係ない話・・・はずだった。

弟の挑戦心に比べて、私のそれは情けなさ過ぎるわけだが、
そのことを周りの人にいうのだから、情けないどころではない。
まぁ、運動に関しては私は徹底的に駄目な人間であるように見せたがっているからな。
数学で無能と思われたら仕事に支障をきたすが、運動面で無能と思われていても何の支障もないからね。

しかし、周りに弟のハーフマラソンの話をしたせいか、同僚の一人から一緒にハーフマラソン出よう?と誘われてしまった。完走する自信など皆無だが、練習して出場することには意義はあるだろうと思う。非常に辛そうだが、トライしたくない。でもトライするべきだろう。
マラソンに対する意識を植え付けやがった弟と声をかけてくれた同僚には感謝せねばなるまい。
自分ひとりでは絶対に始動しなかっただろうからね。

でも4月まで2ヶ月も無いぞ。大丈夫かなぁ。





Sunday, February 10, 2013

”英語教師のNGワード” by 阿部 一

阿部 一著の”英語教師のNGワード”を読んだ。

なかなか手厳しい箴言が多くて、気軽に読もうとした自分を愧じた。
タイトルは”英語教師の~”だが、”数学教師の~”にしても十分通じる。

全部で24のNGワードが解説されてあるのだが、唸らされたものを幾つか取り上げると、

”これは覚えておきなさい”

”何回か練習してみなさい”

"何か質問はないか?”


このところ文化祭準備のことで頭が占領されており、授業準備が疎かになっていたことを思い知らされた。また今まで自分でよく考えもせずに”NGワード”を発言していたことも反省すべき点として頭に留めておかなくてはいけない。
私はしっかり生徒の学習成果が上がるような工夫をしているか??
否!最近、黒板と問題集に頼りすぎで、自分の発する言葉の影響力(また影響のなさ)に頭が回っていなかった。
自分の授業スタイルを見直すことにしよう。

Friday, February 8, 2013

思い込みから抜け出すんだ!

このところ私の睡眠時間が短縮されている。

とはいっても、常人よりは寝ているかな、毎日7時間程度だ。

私は平日8~10時間くらい寝るのが普通だから、大分削っている。

夜に7時間しか眠らない日もあるが、そういう時は昼寝で補うか、次の晩に沢山寝ることが多い。

しかし、このところはそれもない。

私は常人より沢山寝ないといけない、というのは単なる思い込みかもしれない。

正直日々疲れは感じるが、もう少し続けて、7時間睡眠が当たり前と感じられるようになりたい。

今の私なら出来るはずだ!と別の思い込みをかけておこうっと。

Wednesday, February 6, 2013

金<評価<生き様???

夏休みの間塾の夏期講習の仕事をしようかどうか迷っている。
そしてその迷いの原因は時給の多寡である。
もし時給が魅力的なら仕事をとるが、そうでなければ自分の自由時間を選ぶだろう。
金銭に敏感になってきた自分自身を褒め称えるべきか、
それとも金銭に意地汚くなってきた自分自身を見つめなおすべきか。
金銭で動く人間にはなりたくなかったのではなかったか!?

まぁ時給自体は上がった場合でもあまり差はでないだろうが、
自分の仕事がそれなりに評価されたら、じゃ塾の為に頑張ろうか!という気になるだろう。
私は時給より評価の方を意識していると思う。

私を雇う側からすれば、さぞ扱いやすいことだろう。
何しろ、適当に褒めておけば、やる気出して働いてくれるんだからなぁ。


でも、自分の中にこの仕事を完遂したいという気持ちもあるから、私は働けているのだと思う。
金や評価に踊らされてたまるものか!
私の価値観に反するものなら、金も評価もきっぱり捨ててみせる!



Monday, February 4, 2013

手土産をもってゆく

先週の話。
パーティーに参加しました。
手料理を持ってくる人、ワインや酒を持参してくる人、デザートを用意してくる人、など
手ぶらで来る人はいない・・・・私を除いて。

パーティーの幹事に何も持ってこなくていいよ、と言われて本当に何も持っていかない私は頭がどこか普通じゃないのかもしれない。

しかしただより高くつくものはないとはよくいったものだ。
パーティーで何も支払わずに飲み食いしたわけだが、パーティー終了後の後片付けをやる羽目になるのです。やっぱり何も持っていかないと負い目を感じるもので、後片付けくらいはやらないとなぁ、って気持ちになります。今回はその後片付けに費やした時間は1時間くらいだったと思うが、ワインの一本でも持参していった方が賢いと思った。そうしていれば、後片付けまでパーティーに残る必要がない分、自分の自由時間を確保しやすい。(私はパーティーはあまり好きではなく、長時間いるとストレスを感じる。)またパーティー中に心の負担なくもっと気軽にみんなが用意してくれた食べ物を楽しむことができるだろう。当然後片付けの仕事もせずに済むだろう。
時は金なり、手土産一つで手に入れられるものは結構多いことを痛感した一日となった。

Saturday, February 2, 2013

偽りの言葉をはっしてはおるまいか?

説得するとき、言葉だけでは無力である。

如何に古人の名言を吐こうとも、口先だけで説得される例はあまりないと思う。

私の身なり、表情、経歴、行動、そういったもの全てから私の発する言葉が評価されている。

書いておいてなんだが、私は身なりを改善する気はさらさらない。

表情を繕うことは可能か?ある程度は私でもできると思うが、一時しのぎ的な技術に過ぎまい。

過去の経歴は今更変えようがない。これからの経歴をできるだけ魅力的なものにするしかない。

私の説得力を高めるには、まず自分の行動で示すことだ。

ルールを守らせるには、自分がルールを守ることだ。

勉強の大切さを説くには、自分が常に勉強することだ。

行動を促すには、自分から行動をおこすことだ。

そうして初めて、私の言葉に力が宿りだす。本物の言葉になるのだ。

今の私はどれほど本物の言葉を発しており、どれだけ偽りの言葉を発しているのか?

これは嘘発見機では発見できまい。偽りの言葉も自分では本物だと勘違いしているからなぁ。



ところで最近の私は饒舌すぎるきらいがある。

自分では真剣に話しているつもりでも、気づくと中身のない会話に終始していることが多い。

先日、弟に私と一度対談してみたいといわれた。

どうやら私は真剣に話しておらず腹のうちを全くみせていないと思われてしまっているようだ。

そうかもしれない。話しているつもりだけな気がするな。これも勘違いってやつだな。


真剣に自分の発する言葉を分析してみるのも悪くないな。(これも偽り!!?)