Monday, February 25, 2013

カンニングと罰

宿題の採点をしていて、よく似た答案をみつけてしまった。
比較してみると、明らかな書き写しであった。
書き写しをする生徒も、書き写させる生徒も残念だが、もっとも残念なのはそういうカンニングをできると生徒に思わせてしまっている私自身のほうである。
私が受け持つ今年度のこのクラスに対して、私はカンニングをする生徒はいないであろうという思い込みがあった。隙を衝かれた気分だ。
どんなに評判の良い生徒達でも油断してはいけないことを思い知らされた。
カンニングをさせない環境を作り上げる努力を怠ったせいでこういう不幸が訪れる。
しかしだからといって今回のカンニングを黙認はできない。
黙認は、私の倫理が許さない。許せば、私自身が崩壊するだろう。
今回の事件の遠因は私の指導力不足によるもの。しかし、罰されるのは私ではなく生徒だとあたりに責任転嫁のようで葛藤する。これは、どうしたものだろうか。私自身も罰するしかないな。
どれほどの罰が妥当なのだろう?






1 comment:

  1. カンニングは非常に残念だね。当人は結局学び損ねたわけだし、カンニングを許した生徒も相手が努力して理解するチャンスを失うのを手伝ったわけで、カンニングした当人にとってマイナスの影響を与えたわけだし、してはならない行為をとったという自分自身に対する評価もマイナスになるわけだし、先生の信頼を裏切ったわけだし。試験監督はすべての受験生が公平な環境でこれまでの勉強の成果を出せるように不正がないように眼を光らせる訳だけれど、まあ、同時に30-40人の行動を常時見張るのは神業だね。この先生はカンニングが発覚したらF食らう、と思わせておいたほうが良いかも。

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