Wednesday, June 26, 2013

とりあえず書く


自分でそう思う。でもとりあえず書くこと。
今は修正などに時間をかける気にはならない。
思いついたこと、ノートに残しておきたい自分の考えを断片的にでも書こう。
書き続けないとまたサボってしまうから。

それにしてもこういう手抜き文で何度かしのごうとするけど、直ぐに挫折すんだよなぁ。
まだ意識レベルに課題があるな。

Tuesday, June 25, 2013

未来世界への希望を持つこと


私は未来に対して否定的なイメージしか抱いていないようである。無学な私は将来を的確に予測できないけど、それだけでなく未来をより良い形にしようという意気込みが足りないからなのではないかと思った。

自分ひとりが頑張ったところで何も変わらないという思考が染み付いている。

この思考から一刻も早く脱出する必要がある。50年後や100年後の世界を少しでも良いものにするにあたって、自分は何ほどのことができるのであろうか。社会の中の自分、人類の中の自分、歴史の中の自分、そういう視点を持てば答え(対策)が見えてくるはずだ。またそういう視点で行動することが社会人としての務めだ。学校の使命が子供を一人前の社会人に育てることならば、まず私が一人前になっていなければ話にならない。

私が世界をより良くしようという思想を持たずにどうして学生に同じ思想を持たすことができよう?こんな人間が教壇に立っていたのでは子供も不憫極まりない。
なんとかしなければ。そう思いつつ時間がどんどん流れていく・・・。

Monday, June 24, 2013

問題意識


私は未来を見ていない。未来を切り開こうという精神が欠如している。

世界には大小様々な問題が混在しているということを近頃ニュースを読むようになって実感するようになった。前までそういった問題に見向きもしなかった。解決すべき問題が世界中に遍在しているというのに、私の頭の中にはそういったものが全くなかった。

だからかな、全く行動しない人間になってしまったのは。
高校や大学で一通り勉強したつもりだが、試験や課題では常に問題が与えられている。

私は問題解決にだけ頭を使えばよかった。でも問題解決の前に存在する“問題提起”の方が大切なのだ。問題がなければ解決はありえない。数学では定理を証明した人より定理を予想した人の方が評価されるという。フェルマーの最終定理、リーマン予想などはそういう類だろう。仮にリーマン予想が誰かに証明されても、リーマンの名前を超えることはないだろう。定理名にもリーマンの名前がつくのではないかな。

私はまだ自分の人生を通して取り組むべき問題を持っていない残念な人間である。だから本当の意味での活力を感じない。近年今までに見向きもしなかった物事に取り組むようにはなってきているのだけど、そこに問題意識はない。とりあえず経験する、情報を取り入れる程度のもの。確固とした目標があるわけではない。自分にとって解決すべき問題となっていないから、意義のある目標を立てられないわけだ。自分の命を賭けて取り組むべき課題をみつけるため、問題意識を持つように日常生活に取り組みたい。その為には自分の手で未来を変えるという信念を磨いておく必要がある。これも日々の蓄積が肝要なのだろう。

Friday, June 21, 2013

次の世代へという考え方

私は今も着実に死に向かって突き進んでいる。
死は人生の最終到達点だ。
それがいつになるのかはわからない。
でも満足できる死を迎えられるよう日々頑張ってゆきたい。

ところで、私は自分の死=世界の終焉という考え方をしているようだ。
相変わらず自分本位にしか物を見れていないわけだ。
だから自分が幸せならOk的に物事を捉えてしまうのだろう。
少し前にNASAの科学者の話が記事に出ていた。
読んでいて私が衝撃を受けたのは、現代の科学の凄さではその科学者の未来像だ。
100年後、500年後の世界の話をしている。天文学的な数字というほどでもないけど、500年後のことなんて私はイメージした事がない。それは自分とは一切関係のない世界という認識からだ。
でも彼らは違う。彼らは真剣に人類が太陽系外に進出することを夢見ている。
彼ら一代では到底成しえないことだろう。でもその500年後につなげるために日夜研究にいそしんでいるのかと思うと、自分とは全く異なる価値観に生きているのだぁと感嘆させられた。
私は数学一筋で生きていこうと漠然と思っていたけど、それが怖くなった。例えば双子素数が無限にあるのか、とか素因数分解の効率よいアルゴリズムとか、リーマン予想の証明とか取り組んでみたいなぁって思ったものは幾つかあったけど、自分の一生のうちに成果をあげられるのかという不安に克つことは出来なかった。でもここに出てきたNASAの科学者は自分一人で解決できなくても、答えに一歩ずつ前進することに命を賭けることができる人達なのだ。
私は自分が成果をあげる、そういう自己顕示欲の塊なのであって、純粋に人類の科学の発展に貢献するという考えは持ち得なかった。科学史の潮流の中に無数に存在する人々ではなく、その中の一部の大きな成果を出した恒星でなければ無意味だと考えていた。
たとえ自分が輝けなくても、他の人が輝く為の布石になることで意味を見つけられないのか?
他の人っていうのは、現代に生きる人だけなく、100年や500年先の人の入るということに気づかされた。死は私の最終到達点ではあるが、人類史にはまだ続きがある。
私はその続きにも責任の一端を持っていることを自覚しなければいけないのだ。
環境問題に真剣に取り組む人々の気持ちが少しわかった。

Thursday, June 20, 2013

ルールが変われば、プレイの仕方も変わる(2)

新学期、まず最初の授業でコースの概要、授業方針、成績のつけ方などを説明する。
私の通っていたアメリカの高校ではどのクラスでも例外なく成績のつけ方は明確に数値化してあった。
例えばこんな感じにである。

Final Exam               35%
Projects                    20%
Daily Assignment   20%
Class Participation 10%
Pop Quiz                     15%

そんで、結構定期的に現在の成績が通告される。大体はクラスの壁に名前を伏せた成績一覧表が張り出されていた。それにはそれぞれの課題で何点とったのか、をテーブルにして成績を出していた。それを見ながら”あぁ、今の成績はCか、期末で85点くらい取らないとBにならないなぁ”とか考えるわけである。

今日はこの成績のつけ方について考えてみる。
私の場合、成績は、期末試験、小テスト、宿題の3つでつけている。
問題はその比重だが、最初の頃は20%としていた。
数学はよくできる生徒と中々点を取れない生徒の点差が激しいのが理由だ。
努力してもテストで点が思うように取れない生徒を支援する為に宿題点という目に見える努力評価をしたかったのだ。
しかし2年くらいして、20%は大きすぎると感じるようになった。
宿題点の為だけに宿題をやる生徒が目に付くようになった。
他の生徒の答えをもらう、よく理解しないまま例題どおりの答え方をするなど。
勿論宿題以外の80%の方が大きいし、そこで得点できないと話にならないのだが、
残念ながら、そこまで考えてもらえない。目先の簡単に稼げる点数の為に努力して、本当に理解してテストでも得点できるように努力する人は多くない。
このところ宿題の比重を15%に落とし、期末試験の比重を大きくしている。
最終的には期末試験で高得点を取れる力が備わっていればいいわけだから、期末試験だけで成績をつけてもよいのだが、その場合生徒に相当プレッシャーをかけるし、チーティングの行われる可能性が高まる、数学だけ期末試験のウェイトが高すぎると他の科目の期末試験の勉強が出来なくなるなど、リスクが多い。

そもそも自分の理想とする授業スタイル、生徒に何を期待するかで、成績のつけ方が自ずから定まってくるだろう。それをまだ定められない私はまだ理想形が見えていないのだ。
成績の付け方は私のコースにおけるルールだ。ルールだけで生徒の動きをコントロールすることはできないけど、ある程度はコントロールできる。
正直なところ、私のコースの成績のつけ方より、大きな枠でのルール変更(改革)が必要だと感じているのだが今の私でその枠を動かす力は足りないだろう。まずは自分に与えられた権限だけで最高の結果を出せるようにしなくては全ては戯言として片付けられてしまう。一教員が持つ権限も相当に大きいからな。

Wednesday, June 19, 2013

ルールが変われば、プレイの仕方も変わる。

この前、久しぶりに大富豪というトランプゲームで遊んだ。
4人プレイで、今まで対戦した事のない相手ばかりだったので、まずはルールの確認をする。
私は学生時代に大分このゲームで遊んだことがあるが、その時に採用していなかったルールが2つ。一つ目は”都落ち”、2つ目は”2上がり禁止”や”特殊効果のあるカードでの上がり禁止”である。
これらのローカルルール付きで7戦することになった。
都落ちのルールは面白いと思った。
これのあるなしで各プレイヤーの戦略が大分変わってくるからだ。
なしの場合、各プレイヤーがリスクを冒してまで大富豪の出した強力なカードを打ち破ることは少ない。無理することで自分の立場が悪化し、順位を落とすことに繋がるからだ。一方大富豪は多少手が悪くても無理に一位を狙わず無難に2位狙いができる。だから一度大富豪になったプレイヤーは中々上位から落ちない。序盤に富豪、大富豪になったプレイやーが暫く上位に居座るので、何戦やっても順位の変動が起こりにくかった。
都落ちを採用すると、大富豪になったプレイヤーは一位の座を死守しなければいけない。一位の座を明け渡す=大貧民への転落、というルールだからだ。だから大富豪は2位狙いという無難なプレイはできない。また、他プレイヤーも大富豪を叩き落す為に無理して大富豪を落とすために切り札を使うこともある。また自分が上がれなくても、自分の隣のプレイヤーが上がりやすくなるようなプレイをして、大富豪にプレッシャーをかける作戦もでてくる。
同じ大富豪という名のゲームでも、ちょっとルールを変更するだけで、ゲームのプレイの仕方は大きく変わる好例だと思う。


この時、スペードというトランプゲームもやったのだが、この時はパートナーシップなしでプレイした。このとき私は一度宣言に失敗して、序盤でビリに転落した。しかし今回は短いゲームだったので挽回する機会があまりないと感じた私は、その後無理な宣言を何度か繰り返しては失敗してビリに終始した。しかし、もしお金か何か大事なものを賭けていて、しかもそれが順位だけでなく点数に応じて支払うことになっていたら、こんな無謀なプレイはまずしていなかったはずだ。ゲームの基本ルールを変えなくても、外的要因によりゲームの質は変わるわけだ。


最近NPBで統一球の使用変更の事実が隠蔽されていたことが明るみになったが、
使用するボールが変わることで野球というゲームのプレイの仕方が全く変わってしまうのだから非常にまずい話だと感じた。去年一昨年と異なるボールを今年は使っているわけで、去年までのルールとは異なるということだ。選手、コーチ、観客はそのルールを知らされないままゲームに参加していたということになる。都落ち"のルールが採用されているのに知らずに大富豪をプレイしている状態だ。ルール変更が通知されれば、選手達のプレイは変わる。コーチの指導、チームの方針も変わる。観客の試合の見方も変わる。トランプゲームの原理と同じだ。私の遊びとの違いは実物のお金が絡んでいるということだ。詐欺ってやつではなかろうか?







Tuesday, June 18, 2013

基本に立ち返る。

どんどん難しいことをやるより、基礎固めをしっかりやっておいた方が結局は早道であることは数学を教えていてよく感じることで、私も自分の勉強にそれを応用しようと思った。
何事も基本が大事、
ということで
エクセルの使い方には自信を持つ私だが、あえて入門書に手を出してみた。

まぁ流石に知っていることが多くて飛ばし読みするページも結構あったけど、第一章は学ぶことが多かった。今回学習したことをいくつか列挙すると、

セルに分数を入力してそれをそのまま表記させる方法、
入力したものが表示されないようにするテクニック、
すぐにわかることだけど自分では一度も使ったことのないコマンドの使い方と使い道、
便利そうなショートカットキーをいくつか、
チャートのうまい見せ方、
NPeriod Moving Averageの概念と使い道、

など思っていたより学ぶことが多くてよかった。
今週から、これの上級版を読み始めます。



http://www.amazon.com/Learn-Excel-Essential-Skills-Method/dp/0955459923/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371337262&sr=8-1&keywords=excel+2007

Monday, June 17, 2013

理想の社会をイメージする。

具体的な形はわからないけど、私は漠然と理想的な社会のイメージを持っている気がする。
でも、現実世界とそれは乖離しているわけで、それに直面するたびにちょっとした絶望感を持つ。
優秀な人なら、ここで絶望ではなく、よりよい方向に変えていこうと努めることだろう。
私も小さな範囲では努めるようにしているつもりだ。
でも地球規模の問題に立ち向かうほどの度胸も知恵も持っていない。
今から持つことは可能なのか?

自分の理想とする社会を明確にイメージできれば、頑張れる気がしなくもない。
自分から発信する何かを持たなければなるまい。
でなければ、このブログもゴミにしかならないし、私の人生も塵芥にしかならない。

理想の社会についてよく考えてみよう。
そしてそれの実現方法も・・・。
あぁ、でも日々の仕事で忙殺されているとそんな事忘れちゃうんだよなぁ。
哀しきサラリーマン人生だ。





Sunday, June 16, 2013

加速し続けて・・・・

岩波ジュニアからでている”地球を壊さない生き方”という本を読了。

こんな本を読むと私はやっぱり人間は醜いとしか感じることができない。
どうやって世界をより良くしてゆくべきかについて考えることができない自分が情けない。
とても短絡的な答え、人類滅亡してもOkじゃない?って思ってしまう私はとてもこの厳しい世界で生き残ってゆけない気がする。

資本主義は必ず廃れると思う。いつになるかは解らないけど、ひとりひとりが己の利のみ追求する限り根本的な構造は変わらない。人間はとても刹那的にしか生きていない。先進国では、非常に高確率で高齢まで生存できるのにもかかわらず、遠く先のことまでは見通すことをしない。いや、できない。
今の時代の変化の早さでは、どんなに先見の明のある人でも将来を正確に見通すことは無理かもしれない。一昔前の変化の少ない時代ではそんなことはなかったろう。しかし変化は人間にとっては宿命。
どんどん増大している変化率・・・行き着く果ては?




http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%82%92%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A7%8C%E7%94%B0-%E5%8A%AD/dp/4005001793/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371335440&sr=8-1&keywords=%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%82%92%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%AE%E6%9C%AC

Saturday, June 15, 2013

よくわかっていないのにお金を出す馬鹿。

去年から403Bという年金制度に入っていて、毎月100ドル程度手取りから引かれているのだが、
実際その仕組みがよくわかっていない。
とりあえず払っているだけで、よくよく考えてみると阿呆である。
ちょっと仕組みについて調べる必要があると思った。
まず、家にある英語の長いパンフレットを読んでみることにした。
それでもよくわからなかったら電話かなぁ、といったところ。

税金も自分がいくら支払っているのか、それがどう使われているのか、
調べたことも考えたこともない。
一体私は一年間にどのくらいの税を納めているのかなぁ。
収入はたいしたことないから、税も大して納めてないだろうけど。

クレジットカード会社には、保険か何かで毎月わけもわからず13ドル程度引かれているし。
実は意味もなく払わされている気もする。

もっとお金について考えないといけないなぁ、と経済誌を読みながら感じた今日一日であった。


とりあえず今日初めて知ったことは、年金支給が20XX年の某月からスタートするということだけ。
でも、いくらになるのか見当もつかない。