Sunday, August 9, 2020

【読書記録】 海底の支配者 底生生物 世界は「巣穴」で満ちている  By 清家弘治

 久しぶりにブログを再開することにした。


1.購入のきっかけ:

よくは憶えていないが、Amazonを渉猟中に、おすすめ欄に現れた一冊だった。

元々、生物に対する興味はあまりもっていなかったが、海に関しては結構興味あったので、まぁ購入してみようかなとこのときは思った。


2.読む前の期待や読む目的

生物に対する好奇心は薄いのだが、聞きなれない”底生生物”というものが何かを知るのは楽しいことかなぁというちょっとした期待はあった。


3.感想

当初予想していたよりも大変読みやすかったが、その理由は特に前提知識がなくても読めるように書かれていたことと、先が気になるような仕掛けだろうか。生物の名前はあんまり覚えられなかったけれど、どんな生態なのかを人間の生活に譬えてくれるのですごくイメージしやすかった。

海底は穴だらけという認識はこれまで無かったし、世界の大半は海底であり、そこに多くの生物が住んでいるという認識も希薄だった。次に砂浜に行ったら、生物の動きに関心を持つことになるだろう。海に入れなくても、砂浜での楽しみが増えたかなと思う。いままでだったら砂浜に独りでいる静かさ孤独さを味わっていただろう。足元に数えきれない生物がいると思うと、そんな味わい方は出来なくなりそうだ。

また、冒頭で著者が描いているように、もうなんでも知り尽くされていてフロンティアなどないと思ってしまいがちな私達であるが、本当に身近なところに未知があることを再認識させられる。

こんな研究(生痕学と呼ぶそうだ)に需要あるのだろうか、なんて感じながら読んでました。が最終章で、地質資源探査などに活用されて、産業界との繋がりも強まっていると言及されてあった。SDGとの関連で益々需要が高まっていきそうではあるなぁと勝手に合点した。

4.記録

人類とは比較にならない個体数。

穴の形状を知るために樹脂や石膏を利用。

穴はかなり深い(体長の20倍とか!)、Y字型多い?

外敵から隠れる、食事の摂り方、糞の処理、海水の循環、サーフィン移動、這い痕

穴の効用や様々な生存戦略が登場するが、無意識にできているんだろうか、その辺気になる。

地震や荒天時の激しい地形変化といった過酷さがある。底生生物の生活も楽ではなさそう。


Tuesday, September 30, 2014

感動したことは忘れない!


今日の授業:パスカルの三角形と二項式の展開公式の関係について。
 
目標は(x+y)^3の展開公式を覚えてもらうことであった。
 

まず最初の5分でパスカルの三角形を紹介。
最初の3段を書いてから、4段目を生徒に予想させる。
といっても、”細胞分裂のように“とヒントはいっていたので、4段目から正解を書ける生徒も結構いた。
5段目、6段目と一段ずつ予想させては答えを示すことを続け、
9段目の頃には全員理解できていた。


9段目まで完成させたパスカルの三角形を黒板の左側に残して、右側に移動。
(x+y)^nの展開に入る。 
まず生徒に(x+y)^3の展開をさせる。
計算ミスをする生徒も結構いるが、問題を出してから2分後くらいには黒板に正解を書く。
 
次に(x+y)^4も展開させてみる。
ここで計算ミスなく展開を成功させた生徒に“感動した??”って尋ねるも返答は“No!”
うーん、案外直前にやったパスカルの三角形との関連性には気付かないものらしい。
4乗の展開の正解を黒板に書く。

次は5乗。
ここからは計算ではなく予想させてみる。
そして少し間をおいて正解を黒板に書いていく。これを繰り返す。
5乗の段階では殆どの生徒は予想を外していた。

かまわず次に(x+y)^6を予想させる。
数人はパスカルの三角形との関係に気付いてくる。
このあたりで“感動した”って答えてくれる生徒が出てきた。
でもまだ半分くらいはパスカルの三角形との関連性に気付かず、正解をかけない。
とはいえ、係数はわからなくてもxとyの部分と項数はちゃんと書けるようになってきているからあと少しの辛抱かな。


(x+y)^7で再び予想させてみる。
ヒントとして、あと2度しかパターンに気付くチャンスはないことを生徒に伝える。
何しろ黒板にあるパスカルの三角形は9段目までしか完成させていないからだ。
(x+y)^nの展開も8乗で(9段目に対応)ストップするつもりだった。
ここまで私は黒板の左側をみることなく右側に正解を示してきたが、
今度は私ではなく一人の生徒に前に出てもらって答えを書いてもらった。
私とちがってこの生徒は黒板に書き残してあったパスカルの三角形をちらちら見ながら答えを書いていったので、それをちゃんと観察していた生徒数名は秘密を理解した。

そして最後に(x+y)^8の展開式を予想させた。
殆どの生徒が理解して正解を書けていた!
しかし何と2人ほどまだパターンに気付いていなかった!
もう一度、7乗あたりで秘密に気付いた生徒を前に呼んで、答えを黒板に書いてもらった。
前の生徒よりもわかりやすい仕草でパスカルの三角形を見ながら答えを書いていく。
2人のうち1人は関係に気付いた。
しかしまだ1人気付かない!
最後にまた別の生徒に秘密をクラス全員に説明してもらい、最後の一人もちゃんと関係を飲み込めた。

 


今日の授業は面白かった。
私の予想に反して、案外生徒はすぐにはパターンに気付かない。
でも今回は最後まで私の口から関係を言わずに、生徒に予想させることに徹した。
それによって、徐々に生徒達が理解していく様子がよくみることができた。

既に二項定理を知っている人、直ぐに関係性に気付く生徒、中々気付かない生徒。

あぁ、理解までにかかる時間にかなりのばらつきがあるのだな、と驚いた。
これは今後の授業準備で参考になる。

でも最後には全員理解してくれた。
今日の授業はあまり知識を与えてはいないけど(二項定理だけで応用も何もない。組み合わせも使ってないから二項定理の一部だ)、自分で発見し感動することを与えられたと思う。
パターンの認識のトレーニングにもなったかな。

自画自賛になるけど、今日の授業はうまくいったと思う。
きっとみんな今日の授業内容は忘れないのではないかなと思う。
 
毎回できるわではないが、できるだけ沢山生徒自身に発見させ、感動を味わわせるような授業を行いたい。
毎回やると授業で叩き込める知識量が少なくて、シラバスをこなせない気がする。
少なくとも今の私の力量ではまだ無理だろう。
生徒に多く感動させて、授業外時間に自ら数学にどんどん取り組むように持って行くだけのパワーを身につけなければな。
 
ふぅ、これを一通り書きおえて、ふと思った。
今日の授業で一番感動したのは生徒ではなくて私自身だったかもしれないな。
 
 

Monday, April 7, 2014

95%はデジタル、5%はアナログ、という見方。

10ドルの買い物をするごとにスタンプ1個もらえる店が近くにある。
スタンプが100個あつまると20ドルの商品券になる。

私はここでは頻繁に買い物をしないのでスタンプ100個集めるのに3年くらいかかる。
今日は29.50ドルの買い物をした。
スタンプのルールは四捨五入ではなく10ドル未満の端数は切り捨てだから
私がもらえるスタンプの個数は2個ということになる。
30ドルにかなり近いから3個くれないかなぁという淡い期待もあったが、
今日は3個もらうことができた。

スタンプを3個分押したレジ係りはルールを破っていることになるだろう。
しかし間違った行動とはいえない。
そもそもスタンプのシステムはサービスで、客を常連客とする狙いがあるからではなかろうか。
ここでスタンプのルールを徹底すると、毎日私のようにあとわずかでスタンプが1個増えるような金額の買い物をする人が沢山いるはずだ。その彼らに融通の効かないレジ係り、ケチな店だという印象を与えてしまう。これでは何の為のサービスだか分からなくなる。
もしかしたら、~9ドルの時に、1ドル程度の商品を追加させる効果があるかもしれないが、たかだかスタンプ1個のために余計な買い物をする人がどれほどいるのか?私もそんなことをしたことが学生時代にはあったが、今はしないだろう。何しろスタンプは100個で20ドル、1個は20セント以下の価値しかない。

だからグレーゾーンがあるのだろう。端数が9ドル以上だったらスタンプを押すといったようなどこにも書かれていないルールが。もしかしたら今日のレジ係りの独断、個人的な考え、善意によるものかもしれない。いずれにせよ、ここで3個押してもらえるのは、得をした気分になるし、個人の善意によるものならば尚嬉しくなる。スタンプ1個は20セント以下の価値だけど、こういう好意を受けることによる喜びの価値はそれ以上だと思う。だから私は再びこの店に足を運ぶことになるのだろう。

レジ係りが人からコンピュータに取って代わられたところもあり、これからその変化は進むかもしれない。しかしコンピュータによる自動化となると、好意を受ける機会が無くなってしまうわけで、我々消費者にとってはあまり歓迎すべき変化ではないと思う。

ところで、私が学校の教師として、成績をつける立場にある。
私の成績のつけ方は前出のレジ係りのやり方に似ていてグレーゾーンが存在する。
すなわち、合格ラインに僅かに届かない生徒の成績の扱い方において、成績算出計算法から外れたことをすることがあるのだ。
スタンプをあげないほうが、今後の指導に良いこともあるが、
逆にスタンプをあげたほうが、うまくいくこともある。
宿題点、テスト点などの数値だけで学生の能力を100%判定できるはずもなく、
境界線ギリギリのところでは、人間の判断力、人情、そういった潤滑油があるほうが良いと私は思う。

結論:
100%デジタルで処理できることでも、5%くらいはグレーゾーンを設けて人間的な処理をする方が効果的なのではなかろうか。スタンプは10ドルの5%は50セントだから、今回の私は5%灰色ならば、スタンプをもらえる。29.00ドルしか買っていなかったらもらえなかったということになる。大量に処理すべきことや曖昧さが許されない事象に関しては全てデジタル処理すべきだろう。統計学に登場する有意水準の設定が我々の経験や判断によるように、グレーゾーンの幅もケースバイケースで決めていくのがいいと思う。私の経験ではスタンプのグレーゾーンは10%より大きいのだが、レジ係りによりけりといったところだ。私の成績をつけるときのグレーゾーンの幅は...秘密です。






Thursday, February 27, 2014

もっと真剣に、自分の仕事の価値を高める。

今の私の収入の98%は数学を教えることで得ているものと思われる。
そこで、私の1時間あたりのレッスンはどのくらいの価値があるのか考えてみる。
私の年俸や家庭教師での時間給から私が実際にレッスンで得ている額は1時間につき$20~50である。随分幅があるが、私のレッスンの価値はこの範囲からそう離れたところではないだろう。

もし私に時給Xで数学のレッスンをしてくれないか、と言われたとする。
もしX=$100だったら私は喜んで引き受けるだろう。
しかしX=$500だったらしり込みしてしまうだろう。
つまり私自身、今の自分のレッスンにはそれ程の価値はないと思ってしまっているのだ。
ではXがどの程度までなら私は引き受けるのだろうか。
ちょっと考えてみたが、$150でも引き受けるか迷うだろう。$200なら辞退してしまう。
つまり私の考える私のレッスンの価値は1時間につきせいぜい$150.

まぁ、毎日8時間この率で働けるならば食っていくのに何も困ることはなかろうが、
これは妥協だと思う。
$100ならできるのに、$200だとできないってことは自分のレッスンに絶対の自信を持っていないからだ。自分のレッスンを向上させる真剣さがないのが原因なんだと思う。
自分は低賃金で働かされているって、愚痴るのは気楽なものだ。
低賃金を理由に、自分のレッスンの質を高めようとしない。
これくらいしか貰っていないんだから、多少レッスンの準備の手を抜いたっていいじゃないか!

もっと真剣に自分のレッスンがPriceless、お金では測れない、お金をいくら出してでも受けたいと人々に思われるような次元に高めなければいけない。

頑張ろう。




Thursday, July 4, 2013

単語覚えようとして挫折気味

新しく記憶しようとしている単語が山のようにあるのだけど、中々頭に定着しない。
辞書に一度引いた単語には印をつけるのだが、
忘れたらまた同じ単語を調べる。で印があると、あぁ前に調べたのかぁ、とちょっと嫌な気分になる。とりあえず、印の上の別の印を設けて、調べた回数がわかるようにしている。
でも、何回も印を付け加えたくないから、効率よく単語を覚える方法を探さないと。

寝室のベッドの直ぐ横の壁に4枚ほどA4サイズの紙に書かれた単語表を貼ってある。
しかし、あまり効果がない。
何故かと言うと、ベッドに入ったら直ぐに電気を消すから見えないのだ。
また、起きたときも壁の方を見る時間もなく仕事に出かける有様。
失敗であった。

で、別の場所を思いついた。それは台所である。
台所で料理なんて殆どしないけど、食事はするのである。
そのときにきっと壁紙に目を向けることになるだろう。
もう一つの場所は洗面所である。歯を磨くときにきっと壁紙に目を向けるだろう。
早速実行してみようと思った。
しかし、単語を紙に書くのもしんどい。
そこで、エクセルに単語リストを作って印刷することを考えた。
これなら、何回も書き直す必要が無い。楽だ。
あっ、大事なことを忘れていた!
家では印刷出来ないんだった!!

Tuesday, July 2, 2013

今現在、最も力を注いでいること


6月の中旬から夏休み,塾の仕事を除けばほぼ一日中自由時間という夢のような状態だ。
でこの時間に何をしたいのかというと、色々とやるべきことをリストアップしてある。
数学の授業準備、ピアノ、英語の学習、経済の学習、運動、エクセルの勉強、ブログ。
でも日々継続できているのは3つだけ。英語の学習、エクセルの勉強、読書。
その中で今一番時間をかけて取り組んでいるのは英語だ。
6月下旬に入手したJames Gleickの"The Information"という本に取り組んでいるのだが、毎日3時間程度これに費やしている。
自分の読むペースをよく知らなかったので、3日ほどデータを取る
連続での読書は1時間程度が限界のようである。
そして1時間で15ページ近く読み進められることがわかった。
一日15ページのペースだと420ページの本を読破するには30日近くかかるので、一ヶ月で読破するという目標を設定した。
 
読む理由は英語力の強化、特に単語増強に主眼を置いているので、毎日読んだ15ページで登場する知らない単語や忘れた単語を丸印で囲い、その意味をアナログな辞書で調べる作業を読み返しながら行う。これがしんどく2時間はかかる。併せて3時間だ。
一日に3、4回にわけてこの作業をやる。現在読み始めてから12日が経ち半分近くの200ページを読んだ。
既にかなりの達成感がある(単語はあまり頭に定着していないが!)。一ヶ月で読み終えたら相当自分の力になっていると思う。そうしたら英語の本を自分から進んで読む気が増し、さらに英語力が鍛えられることだろう。
今からワクワクである。
 
 

Monday, July 1, 2013

試し買い

米がなくなったので、買いに行く。
田牧米が安売りセールであることを知っていたので、それが目当てであった。
最近米の消費が激しくなっていて、なんと一袋が一ヶ月半で尽きたのだ。
そこで2袋まとめて買おうという気が起こった。
田牧米を2つ購入でも良かっただろうが、どうせなら今までに試したことの無いブランドにしようと思った。一年ほど前にネットで調べ知った胚芽米というのが健康に良いというので、それを一袋購入してみることにした。

食べてみて、ふぅ、とため息をつきたくなった。
健康によいとはいうものの、味はいつもの白米の方が好みであった。
歯ざわり感にも少し抵抗感がある。思ったより美味しくない。
はぁ、これを一ヶ月半も食べねばならんのかぁ。
もう少しリスクを考えるべきだったかもしれない。
 
といいつつ、毎回同じものばかり購入する自分には嫌気が差していたところ。
時には色々な商品を試すべきと思っていたところにこの胚芽米だ。
実際には他にも今までに一度も買ったことの無いFacial Tissueを購入してみたりしたが、
胚芽米の失敗は痛手だ。リスクを考えて小さい袋にするべきだったかもしれない。
まぁ、一ヶ月半くらいは辛抱できるだろう。
好きな味ではないから、3ヶ月くらいこれかもしれない。
はぁ・・・。
 
 

Wednesday, June 26, 2013

とりあえず書く


自分でそう思う。でもとりあえず書くこと。
今は修正などに時間をかける気にはならない。
思いついたこと、ノートに残しておきたい自分の考えを断片的にでも書こう。
書き続けないとまたサボってしまうから。

それにしてもこういう手抜き文で何度かしのごうとするけど、直ぐに挫折すんだよなぁ。
まだ意識レベルに課題があるな。

Tuesday, June 25, 2013

未来世界への希望を持つこと


私は未来に対して否定的なイメージしか抱いていないようである。無学な私は将来を的確に予測できないけど、それだけでなく未来をより良い形にしようという意気込みが足りないからなのではないかと思った。

自分ひとりが頑張ったところで何も変わらないという思考が染み付いている。

この思考から一刻も早く脱出する必要がある。50年後や100年後の世界を少しでも良いものにするにあたって、自分は何ほどのことができるのであろうか。社会の中の自分、人類の中の自分、歴史の中の自分、そういう視点を持てば答え(対策)が見えてくるはずだ。またそういう視点で行動することが社会人としての務めだ。学校の使命が子供を一人前の社会人に育てることならば、まず私が一人前になっていなければ話にならない。

私が世界をより良くしようという思想を持たずにどうして学生に同じ思想を持たすことができよう?こんな人間が教壇に立っていたのでは子供も不憫極まりない。
なんとかしなければ。そう思いつつ時間がどんどん流れていく・・・。

Monday, June 24, 2013

問題意識


私は未来を見ていない。未来を切り開こうという精神が欠如している。

世界には大小様々な問題が混在しているということを近頃ニュースを読むようになって実感するようになった。前までそういった問題に見向きもしなかった。解決すべき問題が世界中に遍在しているというのに、私の頭の中にはそういったものが全くなかった。

だからかな、全く行動しない人間になってしまったのは。
高校や大学で一通り勉強したつもりだが、試験や課題では常に問題が与えられている。

私は問題解決にだけ頭を使えばよかった。でも問題解決の前に存在する“問題提起”の方が大切なのだ。問題がなければ解決はありえない。数学では定理を証明した人より定理を予想した人の方が評価されるという。フェルマーの最終定理、リーマン予想などはそういう類だろう。仮にリーマン予想が誰かに証明されても、リーマンの名前を超えることはないだろう。定理名にもリーマンの名前がつくのではないかな。

私はまだ自分の人生を通して取り組むべき問題を持っていない残念な人間である。だから本当の意味での活力を感じない。近年今までに見向きもしなかった物事に取り組むようにはなってきているのだけど、そこに問題意識はない。とりあえず経験する、情報を取り入れる程度のもの。確固とした目標があるわけではない。自分にとって解決すべき問題となっていないから、意義のある目標を立てられないわけだ。自分の命を賭けて取り組むべき課題をみつけるため、問題意識を持つように日常生活に取り組みたい。その為には自分の手で未来を変えるという信念を磨いておく必要がある。これも日々の蓄積が肝要なのだろう。

Friday, June 21, 2013

次の世代へという考え方

私は今も着実に死に向かって突き進んでいる。
死は人生の最終到達点だ。
それがいつになるのかはわからない。
でも満足できる死を迎えられるよう日々頑張ってゆきたい。

ところで、私は自分の死=世界の終焉という考え方をしているようだ。
相変わらず自分本位にしか物を見れていないわけだ。
だから自分が幸せならOk的に物事を捉えてしまうのだろう。
少し前にNASAの科学者の話が記事に出ていた。
読んでいて私が衝撃を受けたのは、現代の科学の凄さではその科学者の未来像だ。
100年後、500年後の世界の話をしている。天文学的な数字というほどでもないけど、500年後のことなんて私はイメージした事がない。それは自分とは一切関係のない世界という認識からだ。
でも彼らは違う。彼らは真剣に人類が太陽系外に進出することを夢見ている。
彼ら一代では到底成しえないことだろう。でもその500年後につなげるために日夜研究にいそしんでいるのかと思うと、自分とは全く異なる価値観に生きているのだぁと感嘆させられた。
私は数学一筋で生きていこうと漠然と思っていたけど、それが怖くなった。例えば双子素数が無限にあるのか、とか素因数分解の効率よいアルゴリズムとか、リーマン予想の証明とか取り組んでみたいなぁって思ったものは幾つかあったけど、自分の一生のうちに成果をあげられるのかという不安に克つことは出来なかった。でもここに出てきたNASAの科学者は自分一人で解決できなくても、答えに一歩ずつ前進することに命を賭けることができる人達なのだ。
私は自分が成果をあげる、そういう自己顕示欲の塊なのであって、純粋に人類の科学の発展に貢献するという考えは持ち得なかった。科学史の潮流の中に無数に存在する人々ではなく、その中の一部の大きな成果を出した恒星でなければ無意味だと考えていた。
たとえ自分が輝けなくても、他の人が輝く為の布石になることで意味を見つけられないのか?
他の人っていうのは、現代に生きる人だけなく、100年や500年先の人の入るということに気づかされた。死は私の最終到達点ではあるが、人類史にはまだ続きがある。
私はその続きにも責任の一端を持っていることを自覚しなければいけないのだ。
環境問題に真剣に取り組む人々の気持ちが少しわかった。

Thursday, June 20, 2013

ルールが変われば、プレイの仕方も変わる(2)

新学期、まず最初の授業でコースの概要、授業方針、成績のつけ方などを説明する。
私の通っていたアメリカの高校ではどのクラスでも例外なく成績のつけ方は明確に数値化してあった。
例えばこんな感じにである。

Final Exam               35%
Projects                    20%
Daily Assignment   20%
Class Participation 10%
Pop Quiz                     15%

そんで、結構定期的に現在の成績が通告される。大体はクラスの壁に名前を伏せた成績一覧表が張り出されていた。それにはそれぞれの課題で何点とったのか、をテーブルにして成績を出していた。それを見ながら”あぁ、今の成績はCか、期末で85点くらい取らないとBにならないなぁ”とか考えるわけである。

今日はこの成績のつけ方について考えてみる。
私の場合、成績は、期末試験、小テスト、宿題の3つでつけている。
問題はその比重だが、最初の頃は20%としていた。
数学はよくできる生徒と中々点を取れない生徒の点差が激しいのが理由だ。
努力してもテストで点が思うように取れない生徒を支援する為に宿題点という目に見える努力評価をしたかったのだ。
しかし2年くらいして、20%は大きすぎると感じるようになった。
宿題点の為だけに宿題をやる生徒が目に付くようになった。
他の生徒の答えをもらう、よく理解しないまま例題どおりの答え方をするなど。
勿論宿題以外の80%の方が大きいし、そこで得点できないと話にならないのだが、
残念ながら、そこまで考えてもらえない。目先の簡単に稼げる点数の為に努力して、本当に理解してテストでも得点できるように努力する人は多くない。
このところ宿題の比重を15%に落とし、期末試験の比重を大きくしている。
最終的には期末試験で高得点を取れる力が備わっていればいいわけだから、期末試験だけで成績をつけてもよいのだが、その場合生徒に相当プレッシャーをかけるし、チーティングの行われる可能性が高まる、数学だけ期末試験のウェイトが高すぎると他の科目の期末試験の勉強が出来なくなるなど、リスクが多い。

そもそも自分の理想とする授業スタイル、生徒に何を期待するかで、成績のつけ方が自ずから定まってくるだろう。それをまだ定められない私はまだ理想形が見えていないのだ。
成績の付け方は私のコースにおけるルールだ。ルールだけで生徒の動きをコントロールすることはできないけど、ある程度はコントロールできる。
正直なところ、私のコースの成績のつけ方より、大きな枠でのルール変更(改革)が必要だと感じているのだが今の私でその枠を動かす力は足りないだろう。まずは自分に与えられた権限だけで最高の結果を出せるようにしなくては全ては戯言として片付けられてしまう。一教員が持つ権限も相当に大きいからな。

Wednesday, June 19, 2013

ルールが変われば、プレイの仕方も変わる。

この前、久しぶりに大富豪というトランプゲームで遊んだ。
4人プレイで、今まで対戦した事のない相手ばかりだったので、まずはルールの確認をする。
私は学生時代に大分このゲームで遊んだことがあるが、その時に採用していなかったルールが2つ。一つ目は”都落ち”、2つ目は”2上がり禁止”や”特殊効果のあるカードでの上がり禁止”である。
これらのローカルルール付きで7戦することになった。
都落ちのルールは面白いと思った。
これのあるなしで各プレイヤーの戦略が大分変わってくるからだ。
なしの場合、各プレイヤーがリスクを冒してまで大富豪の出した強力なカードを打ち破ることは少ない。無理することで自分の立場が悪化し、順位を落とすことに繋がるからだ。一方大富豪は多少手が悪くても無理に一位を狙わず無難に2位狙いができる。だから一度大富豪になったプレイヤーは中々上位から落ちない。序盤に富豪、大富豪になったプレイやーが暫く上位に居座るので、何戦やっても順位の変動が起こりにくかった。
都落ちを採用すると、大富豪になったプレイヤーは一位の座を死守しなければいけない。一位の座を明け渡す=大貧民への転落、というルールだからだ。だから大富豪は2位狙いという無難なプレイはできない。また、他プレイヤーも大富豪を叩き落す為に無理して大富豪を落とすために切り札を使うこともある。また自分が上がれなくても、自分の隣のプレイヤーが上がりやすくなるようなプレイをして、大富豪にプレッシャーをかける作戦もでてくる。
同じ大富豪という名のゲームでも、ちょっとルールを変更するだけで、ゲームのプレイの仕方は大きく変わる好例だと思う。


この時、スペードというトランプゲームもやったのだが、この時はパートナーシップなしでプレイした。このとき私は一度宣言に失敗して、序盤でビリに転落した。しかし今回は短いゲームだったので挽回する機会があまりないと感じた私は、その後無理な宣言を何度か繰り返しては失敗してビリに終始した。しかし、もしお金か何か大事なものを賭けていて、しかもそれが順位だけでなく点数に応じて支払うことになっていたら、こんな無謀なプレイはまずしていなかったはずだ。ゲームの基本ルールを変えなくても、外的要因によりゲームの質は変わるわけだ。


最近NPBで統一球の使用変更の事実が隠蔽されていたことが明るみになったが、
使用するボールが変わることで野球というゲームのプレイの仕方が全く変わってしまうのだから非常にまずい話だと感じた。去年一昨年と異なるボールを今年は使っているわけで、去年までのルールとは異なるということだ。選手、コーチ、観客はそのルールを知らされないままゲームに参加していたということになる。都落ち"のルールが採用されているのに知らずに大富豪をプレイしている状態だ。ルール変更が通知されれば、選手達のプレイは変わる。コーチの指導、チームの方針も変わる。観客の試合の見方も変わる。トランプゲームの原理と同じだ。私の遊びとの違いは実物のお金が絡んでいるということだ。詐欺ってやつではなかろうか?







Tuesday, June 18, 2013

基本に立ち返る。

どんどん難しいことをやるより、基礎固めをしっかりやっておいた方が結局は早道であることは数学を教えていてよく感じることで、私も自分の勉強にそれを応用しようと思った。
何事も基本が大事、
ということで
エクセルの使い方には自信を持つ私だが、あえて入門書に手を出してみた。

まぁ流石に知っていることが多くて飛ばし読みするページも結構あったけど、第一章は学ぶことが多かった。今回学習したことをいくつか列挙すると、

セルに分数を入力してそれをそのまま表記させる方法、
入力したものが表示されないようにするテクニック、
すぐにわかることだけど自分では一度も使ったことのないコマンドの使い方と使い道、
便利そうなショートカットキーをいくつか、
チャートのうまい見せ方、
NPeriod Moving Averageの概念と使い道、

など思っていたより学ぶことが多くてよかった。
今週から、これの上級版を読み始めます。



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Monday, June 17, 2013

理想の社会をイメージする。

具体的な形はわからないけど、私は漠然と理想的な社会のイメージを持っている気がする。
でも、現実世界とそれは乖離しているわけで、それに直面するたびにちょっとした絶望感を持つ。
優秀な人なら、ここで絶望ではなく、よりよい方向に変えていこうと努めることだろう。
私も小さな範囲では努めるようにしているつもりだ。
でも地球規模の問題に立ち向かうほどの度胸も知恵も持っていない。
今から持つことは可能なのか?

自分の理想とする社会を明確にイメージできれば、頑張れる気がしなくもない。
自分から発信する何かを持たなければなるまい。
でなければ、このブログもゴミにしかならないし、私の人生も塵芥にしかならない。

理想の社会についてよく考えてみよう。
そしてそれの実現方法も・・・。
あぁ、でも日々の仕事で忙殺されているとそんな事忘れちゃうんだよなぁ。
哀しきサラリーマン人生だ。