Tuesday, September 25, 2012

一期一会

何年も前に”美味しんぼ”を読んでいて覚えた言葉で、結構気に入っている。
しかし、このところ心の片隅にも無かったようだ。
安岡正篤氏の”活眼 活学”を読むすすめていると"一期一会”に再会した。
うーむ、最近この心得を疎かにしていたなぁ。反省しよう。
言葉だけ知っていても、それが己の一部となっていなければ知識とは言えないのだ。

Monday, September 24, 2012

自国のことを知るように努めるべし

尖閣諸島問題に関して
自分で考えてみたいけど、残念なことに政治と歴史の知識が極端に欠乏している今の私には論理的なことはなにも言えない、と思う。恥ずかしいことだ。

ただ反日デモのニュースから、中国の住民はあまり幸せな状態ではない上、日本に対して前々から反感を感じていたのだろうと思った。
戦争もあったし、その後の隣国の経済発展は憎むべき対象だったのかもしれない。
たとえば、私の弟が突然、私の10倍の年収を受け取るような職に就いたら私の内心穏やかではなくなる・・・と思う。そうならないよう人格形成に努めねば!
経済面では日本人経営者達は中国の労働力をこきつかっていたのだろうか。
皆がそうとは限らないが、多数がそうしていたら、内に潜む反日感情も相当なものだろう。
結局、日本も中国も自分を最優先に考えるわけで、現代人も賢いとは思えん。

ところで、私は日本では中3途中までしか勉強していない。
インターネットの発達した現在ならそれくらいの勉強をする気になればできたろう。
大学院生のとき、友人の韓国人と中国人と私の3人で3国間の歴史と現在の政治の話をすることになったが、私は無知だったのでその話題中終始ダンマリ状態になってしまった。
自国について無知であることは国際人として失格だと、そのとき思わされた。
あれから何年も経っているが、まだ私は国際人になれていない。少しずつ頑張るしかない。

Sunday, September 23, 2012

工夫で自己満足中

効率よく学習しようと思い立つと、自然と勉強の仕方や日々の生活を工夫しようとするようになるみたいだ。

最近の工夫:
1.デスクワークで疲れた時に休憩代わりにつまらぬ掃除や洗濯をする。
また、その最中に学習したものの確認を頭の中でやってみる。

2.難解な書物を寝る前に開く。結構すぐに寝付ける。

3.入力と出力のバランスを意識する。読書や動画視聴を続けて入力過多と感じたら、ブログや会話などで発信するようにする。


実は過去に何冊も自己啓発書といわれる書物を読んできたけど、殆ど自分の身につかなかった。
他人の忙しい生活の中から生み出されてきた素晴らしいアイデアも、暇な時間をもてあます私にはピーンとこなかったのだろう。自分から時間の使い方を意識するようになり、自分で工夫するようになって、やっと以前読み知った内容の真意に気づく。
それにしても、工夫すること自体なかなか楽しい。生活スタイルを改造しまくって変人になるか!

Tuesday, September 18, 2012

何の為の教育か?

高校で数学を教えることが現在の私の職分である。教育関係者である。
教育は誰の為にあるのだろう?

個人と為なのか?

個人が特定の大学や企業に入れるようにすることが仕事なのだろうか?
もう少し長期的にみて、その個人が順風満帆な人生を送るために必要なことを教えることか?

それとも日本国の為なのか?

国家の繁栄を担う人材の育成が教育の主眼なのだろうか?
戦前、戦時はそういうことが主眼だったのではないかと思う。
文部省からの視点では今でも教育をそう捉えていることだろう。
現場の教員達はそう捉えているとは限らないが。

いや、もっと大きく世界の為の教育なのか?

そうかもしれない。国際化がどんどん進む今、世界の為の人材が不可欠になってきているようだ。
自分の為とか、会社の為とか、自国の為、といった狭い視点でものを考えるのは結局争いばかりの現状を改善する手助けにはならないだろう。


うーむ、そうだとすると私は教育者としては力量不足だろうなぁ。
残念ながら、世界の為の教育という捉え方がもっともしっくりくるのだ。困ったものだ。
まず、私自身が世界の為という視点でものを観るようにならないと、学生達に何も伝授できないな。
ということで、今日も世界史と世界地理の学習を続けよう。

Monday, September 17, 2012

人類の繁栄に貢献しようかなぁ

時々、というより心の奥底では”世の中どうなっても知らんわ”、と思いがちらつくことがある。
宇宙の広大さに思い馳せれば、人類なんて・・・と思ってしまうわけである。
自分の人類への貢献度の少なさから、向きになって反抗する幼い精神に因るところも大きいかな。

人類はいずれは滅亡する。それがいつの事になるかはさっぱり見当もつかない。
自分の寿命を知りえないのと同じだ。
あと何千年も存続するかもしれないし、残り数世紀かもしれないし、残り数年かもしれない。
極端な気候変化、核戦争発動、異星人による地球侵略、伝染力の強力な致死率の高い未知の病の発生、新技術の眼に見えない人体への悪影響、など未来に何が起こるかなど知識の乏しい私にはわからないことだらけである。

ま、いずれ滅びるのは間違いないだろう。
人類が永遠に栄えると思うのは、自分だけはどんな状況でも死なないと思うのと同じだ。
そう思うと、人類が今滅びることになってもしっかり受け止めることができる・・・気がする。
それで世の中の全ての出来事に対して諦観的になってしまうわけだ。

生物は生きる為に活動している。
人も生物なのだから、できるだけ生存できるよう努力しなければならないな。
また、人はひとりでは生きてゆけない。
だから周囲の人との共存を念頭において行動することになる。
自分の行動基準は自分の見える範囲で決まる。
幅広く物事を知るよう努め、できるだけ多くの人の生存に貢献できるような活動ができたら、冒頭のような葛藤もなくなるかもしれない。

諦観しつつも、無駄な努力(いずれ滅びる人類の繁栄に!)をするという矛盾もまた一興。





Sunday, September 16, 2012

好影響と悪影響は同時に発生するもの

毎日、世界中で色々な事が起こっている。
それによって、喜ぶ人や悲しむ人、利を上がる人と損害を被る人が出てくる。
よい行いと悪い行いとは一体どうやって区別できるのか?
自分の勤める企業に貢献し、売り上げが上がればその企業にとっては一時的にはプラス。
でも、それによって競合起業が倒産したり人員削減が起こり、失職する人にとってはマイナス。
それで治安が悪化することになれば、国全体にとってもマイナス。
しかし、その国より優位に立とうとする他国にとってはプラスになったり。
善悪の判断は難しいものだ。まぁ、不可能だろう。
だからいくら理屈を並べたところで人は自分が最も利する行動を取るのではないか?

それが全体を良いものにする、というのが資本主義の理屈だ。
これの正誤の判断は、その恩恵を受けている人々には無理だろう。
この思想はあと何十年生き残れるのか、次世代の思想の登場まだ生き残りたいものだ。

Tuesday, September 11, 2012

長寿志向

現在の日本の平均寿命は80以上らしいが、今のところ私が80歳で生きている姿を想像できない。
そこまで長く生きる甲斐はあるのか?甚だ疑問である。
しかし、長生きするつもりなら、現在の日々の生活習慣をしっかり見直さなければなるまい。
霜降しても、故障のない健康体でいるには、それなりの準備が必要だろう。
食習慣、運動、五感と脳の活用、これらを今のうちから意識して改善したり鍛えることで天命を存分に全うできるのだろう。逆にこれらを疎かにしていたら、苦痛だらけの後半生となろうことは予想できる。やはり想像はしたくない。
健康な老後への投資は、効果がなかなか見えない。しかし効果は確実にあるだろう。
ここにしっかり投資する人は先見の明をもっていると思ってよいだろう。
凡人は即効性を有りがたがるもの。
いや、私も健康への投資は大事だと思いますがね、行動が伴わないんですねぇ。
わかっているけど、やらない。
学生さん達に何度か伝えた言葉だが、自分にとっても耳が痛い。



Monday, September 10, 2012

あるバイトの影響

私の学校外での最初のバイトはレストランでの給仕。
学校では自分の殻に篭り勝ちの私にとって、異世界に飛び込んだような貴重な経験になりました。

まず自分の身だしなみに気を使うようになった。それまでは人から見られているという意識は絶無でした。今でもあまり気は使っていませんが0ではなくなりました。

それから挨拶や返事でしっかり声を出すように躾けられたこと。
この辺が一番自信がなかったので、ここでそういう体験をできたのは大きい。学生の間はその必要性に迫られることはなかったからね。

またお客さんに出来るだけ喜んでもらえるよう接客の仕方を模索したことで、他人とのコミュニケーション、観察力、対応力、行動の早さ、など一言では言い表せないけど色々な能力を鍛えられたと思います。

最後に、そこでのボスに何度も言われて身についた言葉に
”空いた時間があったら、自分でできることを見つけて実行する”
があります。ボスから頂いた貴重な訓示、私の無形財産です。

でも貴重な訓示だと認識したのは、そこで働いていたときではなくて、今の職場で働いているときに何度かレストランで身につけた習慣に救われていることを実感したときです。
バイト経験していて良かったなぁ、と何度も感じています。


Sunday, September 9, 2012

寝る前の時間の使い方を改善したいが・・・。

一日の終わりにその日に成し遂げたこと、成し遂げられなかったこと、やろうとしてやらずにおわったもの、などを省みないとなんだか一日を無為に過ごしてしまったような気分になる。
しかし夜寝る直前は直ぐにベッドに入りたくなって、反省をせずにすませてしまうことが多い。
どうしよう。反省は一日の終わりではなくて、一日の間に何度かするようにしたらよいのだろうか?
なかなか、思うように反省の時間を作れていない。
そうだ、ブログを書く時間を削ればよいのだ!

Wednesday, September 5, 2012

専攻

知識、技術、習慣を自分のものにするには時間がかかる。
当たり前のことなのだけど、学習には時間が必要だ。
人間がサイボーグ化して、コンピュータ脳と連結する時代が到来したら、常識も崩れるか。
だが、それまで寝て待っているわけにもゆくまいな。
さてこれも現代の常識だが時間は有限、一日は24時間である。
学習したい物事が全て時間内に終わる人は殆どいないだろう。
となると、その時間を何の学習に注ぐか、という選択に迫られることになる。
専門的知識を身につけている人は選択余地の無かった人、もしくは数ある選択肢から最も学習したいことを選ぶ決断力があったのだと思う。

私は大学、大学院で数学を専攻していた。
私は選択余地の無い人でした。数学以外に選択肢を持っていなかった。
理由は簡単で、数学以外の科目にはあまり熱心に取り組んでこなかったことであろう。
専攻を決断する際も、他の分野を一切考慮することが無かった。怠惰とよべます。
おかげで、随分知識が数学偏重となり、他のことには無知蒙昧状態となりました。
悲しいことに数学で成績を取れているので、自分が何も知らない阿呆であることに気づくことがなかった。
いや、友人との雑談中に薄々気づいていたかもしれない。
一般常識、時事問題、観光、歴史、経済、スポーツ、全てにおいて聞きに徹せざるを得ないほど字発信する話題に欠けていた事は自覚していた。
それを重大な問題とは思っていなかったのがマズかったのかな。

最近は数学から離れつつあり、逆に、少しずつ他の物事に眼を向けて、他の分野に興味を持てるようになってきた感がある。果たして良い事なのかどうかは結論を出せない。
どんどん数学から乖離してゆく自身をよく思えない気持ちがあるのも確かだからだ。(これも見栄の仕業だろうか、本当に数学好きなら今の状況にはならないよなぁ?)
しかし好奇心が絶え間なく湧出するという今の感触は永らく味わったことの無い妙味。
暫くはこの快感に浸っていたい。




Sunday, September 2, 2012

音読

読書中にふと、音読をするよう努めだした今日この頃です。

私はShyなので気の置けない話し相手以外には小声でしか話さない傾向にあったように思う。
渡米直後は自分の英語に対する自信の欠如がそれに拍車をかけたようで、
私は怒りや反感を言葉に出すこともなくなり、大きくはっきりとした声で話すことが無くなった。

それと運動をしない悪習慣も関係していると思うのだが、
私が喋るとき、どうやら呼吸が止まっているようなのだ。
大きな声を出すには、大きなExhaleを伴うことを近年に体験から学んだ。
また、たまに深呼吸をすることで、普段の呼吸は”浅すぎでは?”という不安も抱くようになった。

ユダヤ人の勉強法”という本で"音読”の効力の力説にも触発され、
私も音読を実践してみようという気持ちが少しずつ出てきた。
とはいえ、音読の読み方では、膨大な量を読みこなすことは出来ない。
そこで、読書中に特に気に入ったセクションやフレーズ、あるいは短い記事(のそのまた一部)、を気が向いた時に気ままに音読するようになった。
音読でフレーズを暗記したいという思いもあるけど、発声練習や腹の運動や朝の目覚めという目的に音読をやっているつもりである。

近い将来、自分の美声に陶酔できたらいいなぁ、と夢想するのも中々気持ちいいものなのです。
呼吸の改善で健康にも良い影響を与える(確証はないですが)。
また、音読で記憶も増強できるなら(僅かな音読量では効果は怪しいが)、
一石三鳥のはず!



Saturday, September 1, 2012

己の力量を測るという挑戦

昨日初めてTOEFLのサンプルテストを受けてみて、自分の力量を測った。
自分の部屋においてあった一度も開いたことのないTOEFL対策の単語集を開いてみたのがきっかけだ。
サンプルテストは、その本に載っていた単語の問題を30問の簡易版、手軽にできた。
今まで自分のTOEFLスコアを測ることを避けてきたが、理由のひとつは必要性を感じなかったことである。
私はアメリカに長く滞在しているが、本格的に英語の勉強をしたことが無かった。
SATやGREも数学で稼げば十分だと思い込んでいて、SATなどででてくる馴染みない単語は学習する必要を感じなかった。でそのまま今に至ってしまった。
就職活動時になって英語を勉強しておけばよかったと初めて後悔した。
このときは自分の英語力が弱点になっていると感じた。
この自信の欠如がTOEFLなどを避けるもうひとつの原因、いや真の要因であろうと思う。
見栄を張りたがる傾向にある私にとって、”もし低い点をとってしまったら?”というシナリオは直視できぬものであった様に思う。
とはいえ、就職してしまってからはその後悔の念もどこかへ潜んでしまった。
幸い最近にわかに英語の語彙力強化に熱がはいり、夏の間に少し自信をつけた。
その自信がめでたく昨日の挑戦に結びついたのだ。

尚、ここでいう自信とは私の今の語彙力に対するものではなく、自分の成長に対するものなのだ。
自分の成長に確信を抱けたからこそ、現状を直視できるようになったのだと思う。


ところで、点数はどうだったかというと・・・ショックを受けるほどではなかったが予想以下の点数だった。
やはりこの程度なのか、というところ。
この秋も引き続き語彙増強に励むとしよう。