知識、技術、習慣を自分のものにするには時間がかかる。
当たり前のことなのだけど、学習には時間が必要だ。
人間がサイボーグ化して、コンピュータ脳と連結する時代が到来したら、常識も崩れるか。
だが、それまで寝て待っているわけにもゆくまいな。
さてこれも現代の常識だが時間は有限、一日は24時間である。
学習したい物事が全て時間内に終わる人は殆どいないだろう。
となると、その時間を何の学習に注ぐか、という選択に迫られることになる。
専門的知識を身につけている人は選択余地の無かった人、もしくは数ある選択肢から最も学習したいことを選ぶ決断力があったのだと思う。
私は大学、大学院で数学を専攻していた。
私は選択余地の無い人でした。数学以外に選択肢を持っていなかった。
理由は簡単で、数学以外の科目にはあまり熱心に取り組んでこなかったことであろう。
専攻を決断する際も、他の分野を一切考慮することが無かった。怠惰とよべます。
おかげで、随分知識が数学偏重となり、他のことには無知蒙昧状態となりました。
悲しいことに数学で成績を取れているので、自分が何も知らない阿呆であることに気づくことがなかった。
いや、友人との雑談中に薄々気づいていたかもしれない。
一般常識、時事問題、観光、歴史、経済、スポーツ、全てにおいて聞きに徹せざるを得ないほど字発信する話題に欠けていた事は自覚していた。
それを重大な問題とは思っていなかったのがマズかったのかな。
最近は数学から離れつつあり、逆に、少しずつ他の物事に眼を向けて、他の分野に興味を持てるようになってきた感がある。果たして良い事なのかどうかは結論を出せない。
どんどん数学から乖離してゆく自身をよく思えない気持ちがあるのも確かだからだ。(これも見栄の仕業だろうか、本当に数学好きなら今の状況にはならないよなぁ?)
しかし好奇心が絶え間なく湧出するという今の感触は永らく味わったことの無い妙味。
暫くはこの快感に浸っていたい。
好きこそ物の上手なれ?興味を持てないものにはいくら時間と労力を費やしても頭や心に残らないもの。自分の心や直感に誠実に、導かれるままにいろいろなことに眼を向けてどんどん吸収したらよいと思うな。好奇心に心が躍るなんて羨ましい限りです。
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