時々、というより心の奥底では”世の中どうなっても知らんわ”、と思いがちらつくことがある。
宇宙の広大さに思い馳せれば、人類なんて・・・と思ってしまうわけである。
自分の人類への貢献度の少なさから、向きになって反抗する幼い精神に因るところも大きいかな。
人類はいずれは滅亡する。それがいつの事になるかはさっぱり見当もつかない。
自分の寿命を知りえないのと同じだ。
あと何千年も存続するかもしれないし、残り数世紀かもしれないし、残り数年かもしれない。
極端な気候変化、核戦争発動、異星人による地球侵略、伝染力の強力な致死率の高い未知の病の発生、新技術の眼に見えない人体への悪影響、など未来に何が起こるかなど知識の乏しい私にはわからないことだらけである。
ま、いずれ滅びるのは間違いないだろう。
人類が永遠に栄えると思うのは、自分だけはどんな状況でも死なないと思うのと同じだ。
そう思うと、人類が今滅びることになってもしっかり受け止めることができる・・・気がする。
それで世の中の全ての出来事に対して諦観的になってしまうわけだ。
生物は生きる為に活動している。
人も生物なのだから、できるだけ生存できるよう努力しなければならないな。
また、人はひとりでは生きてゆけない。
だから周囲の人との共存を念頭において行動することになる。
自分の行動基準は自分の見える範囲で決まる。
幅広く物事を知るよう努め、できるだけ多くの人の生存に貢献できるような活動ができたら、冒頭のような葛藤もなくなるかもしれない。
諦観しつつも、無駄な努力(いずれ滅びる人類の繁栄に!)をするという矛盾もまた一興。
そう、人類だけじゃなくて地球や太陽もいずれ姿を消してしまうんだよね。命ってなんなのかな、って思う。植物にも命ってあるよね。結晶だって成長するんでしょう?星や惑星だって、一生と呼べそうなサイクルがある。宇宙全体も生きているように感じる。テーマがでかすぎて、ずれたコメントになってしまった~。
ReplyDelete