Wednesday, August 29, 2012

クロスワードパズル

英単語増強策の1つとして、クロスワードパズルに取り組んでみた。
主な理由として、
1.楽しめるだろう。
2.色々な分野、また時事問題にも触れることができるだろう。
3.俗語などのフレーズを学習できるだろう。

2週間ほどコツコツとやっていたが、止めてしまった。
あまりにも学習効率が悪かったからである。
これは私が英語のクロスワードパズルに取り組むには力不足だったことが主な原因であろうが、
ともかく一つ一つの設問に答えるのに、答えを見たりしながらやるのだが、数時間はかかる。
しかしそれなりに楽しめたし、興味深いフレーズや単語にも巡りあえたのは良かった。

AlbやTunicのような服装に関する単語に出会い、啓蒙された気になった。
今まで如何に我が眼で見てきた物を表現せずにすましてきたことか!

Bean Counter, Top Banana, Adam’s Appleなど良く使われる用語なのかもしれないが、
こういう知っている単語が組み合わさった俗語の意味を知ることは新鮮だった。

今回学んだことをまとめると:
毎日クロスワードで英語語彙増強を図るのは時間的に厳しいので別の方法を模索した方がよいが、たまにはクロスワードで普段触れるものとは異なる英語を体感するのも悪くはなかろう。

Monday, August 27, 2012

あれは靴といいます。

見たことはあるけど、その名称がわからないものが多々ある。
何故わからないのかというと、それについて頭を使うことが殆どないからだ。

今日の読み物の中にshoeという単語が出てきたのだが、”靴”では文脈に沿わない。
他にどんな意味があるのか?英和辞書で調べてみたが答えらしきものはみつからない。
文脈からカジノ関連の専門用語かもしれないと思い、ブラックジャック、カジノなどと絡めてグーグル検索して答えを見つけた。イメージ検索するとよくわかる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Shoe_(cards)


うん、これは見たことはある。今月に実物をみかけたばかりだ。
しかし名称は知らなかった。そもそも、名前があるとは露ほどにも考えなんだ。

恐るべきは”こそあど言葉”である。
これがあれば名前を知らずとも何とかなってしまう。
便利だけど”こそあど言葉”に頼りすぎるのは、色々な意味でよくないと私は思う。
観察したものを頭の中で言語化するトレーニングを毎日少しずつやってみようかなぁ。
身近な物で語彙を増やすことで、表現力と即興で話題をつくる能力が養われると思う。


どうでもよいことだが、あれは日本語でも(ディーリング)シューと呼ぶらしい。






Saturday, August 25, 2012

掘り下げる

色々と頭に浮かぶ考え事も、その場限りの思索に終わるから私の思想は内容が薄いと思う。
何かテーマを決めてもう少し時間をかけて掘り下げる練習をしてみようと思う。
仕事や課題が与えられていれば、そのことについて長く考えているとは思うのだが、それ以外のこととなると適当に済ますのが私の癖なので矯正するのも時間を要するであろう。

Friday, August 24, 2012

冒険心が希薄なのが課題です

私は何についても漠然と考えてそこでストップしているようだ。
具体的なことは一切考えていない。このブログを読み返すとそう感じる。
きっと頭が考えることを苦痛に感じていて放棄してしまっているのだろう。
具体的に物事を考える習慣をつけるにはどうしたらよいのかな?
と、ここで私の思索はストップするのだね。
これについて毎日思案するわけではないから非生産的なんだろうな。

もっと積極的に行動する。また行動範囲を広める。冒険する。
今の私に必要なのは間違いなく”行動、冒険”なんだ。心がそう訴えているのだ。
じっくりとですが、わたしの重い腰を治療します。




Thursday, August 23, 2012

姿勢

車の運転の話をしましょう。
最近、座席の調節次第で運転のしやすさが決まることに気づいた。
以前までは肘が90度近く曲がるくらいハンドルから近いところで運転していました。
座席位置についてはマークをつけているわけではないので毎回何となく体が憶えている運転姿勢にあうところに座席を移動させていましたが、比較的ハンドルに近いところで運転していました。その方がブレーキペダルを早く強く踏めるから安心感があったのでしょう。
あるとき肘がもう少し伸ばせるようハンドルから座席を離して運転してみたところ、よりリラックスして運転できました。運転しても以前より疲労を感じなくなった。最大の変化は車を曲げるとき、ハンドル操作が安定してスムーズにできるようになったことです。最初はペダル類が普段より離れたので足での操作にやや不安がありましたが、まぁしっかり届くのですぐに不安は払拭されました。
以降肘をリラックスして伸ばせる位置に座席を持ってくるようになりました。

何年間も正しくない座席調整で運転していたのか、それとも時とともに座席調整が乱れてきたのかはわかりませんが、なんとも情けない発見です。
これと通じる発見はピアノの練習中に感じました。運指は座る位置、および弾き手の姿勢にとても影響されることを体で学習しつつある今日この頃です。
今まで軽んじてきましたが、漸く”姿勢”の大切さに気づいてきました。

Tuesday, August 21, 2012

情けは人の為ならず

利他的行動、

人間の利他的行動について考えてみたい。
私はそのようなものは存在しないと思っている。
一見利他的と見える行動も、行動している本人からみると利己的であるのだ。
私の場合、周りの人の為に行動していることもあるが全て意識的にである。

例:
某観光名所にて、赤の他人に頼まれもしないのにその人達の写真を(彼らのカメラで)撮ってあげましょうか?と聞いてみることがある。この行動は彼らの為?いやいや自分の為でしょう。そう話しかけることで気持ち良くなることを無意識(意識?)的に予想しているからだと思う。正直相手からの見返りは考えていない(と思う)。まぁ、挨拶して気持ちよくなる感じ、それを期待しての行動だと私は考えている。だからであろう、無愛想そうな観光客だったらわざわざ話しかけないと思う。話しかけても無視されて自分が落胆することが予想されるからだ。
逆からみれば、無愛想な振る舞いをしていたら、周りの人からサポートを貰いにくく、明るく振舞っていれば周りのサポートを得やすいわけで、人間が明るく振舞おうとするのはやはり利己的な理由からであるとも考えられる。意識的にせよ、無意識的にせよね。


もっとも、他人の内心は私には見えないので私自身から他者の心情を帰納的に推察するしか手段がない。
しかし”情けは人のためならず”という諺もあるように、全ての行動が利己的であることは真理ではなかろうか?そう考えると渡る世間は鬼ばかりで、世知辛く感じてしまうから、あえて利他的行動を容認するのが大人の回答であろうか。

Tuesday, August 7, 2012

無限の道程

道を究めるとは、

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + 1/128 + ... = 2?

のように果てしない過程を歩んでゆくことだと思う。
いくら励んでもゴールは無い。どこまでいっても、進化の可能性が潜在している。
上式のように上限の値がわかるわけではないところが面白いのだ。

わかりやすい例で、100m走。今のところUsain Bolt選手の100m9.58秒が世界記録だそうです。
これは人類にとっての上限値なのでしょうか?
これを破る人は今後現れないのでしょうか?
今のところはベストの値でも記録を塗り替えられる可能性はあります。人類の上限は9秒台なのか気になります。


ところで上の式も100m走のタイムも一次元的なものですが、実際に道をイメージするときは多次元(2,3次元的に)するべきでしょう。例えば演奏家達の成果を一次元的に並べて比較するのは馬鹿げています。それぞれ特徴が異なったり、同じジャンルの演奏家の間でも模索しているものが異なるでしょう。料理に使うボウルをイメージします。だれでも出発点は底の一点です。ゴールは縁です(蟻地獄の中の蟻にとっては正に生死を賭したゴール)。縁のどの点も終着地です。色々な道程が考えられます。また、上らずに横に進んだり、斜めに下ったりしても一次元の時のように来た途を戻るわけではありません。これらのルートも進化の過程とポジティブに捉えられる。結局1次元のときと同じように永遠に縁には到達できないのですが(縁に近づくにつれて傾斜が厳しくなりますからね。)、直線過程を進むより楽しいはず。直線では進むのを止めたら、立ち止まるか後戻りするしかないのですから。ところで実際の人生は何次元位なのでしょうかね?

Monday, August 6, 2012

問いを発すること

今日は車の後部座席で暇していた時、外の景色を眺めているとタンクローリーの後姿が眼に留まった。




”何で楕円形なんだろう?”
と不思議に思った。
帰宅後にWikiで調べてみたが、円形の方が四角形より強度があることと、高さ制限があれば真円形より横に伸ばした楕円形の方が運べる液体の体積を確保できること、という風に漠然とだが理解した。(この記事に関しては英語版より日本語版のほうが詳しく書かれてあり意外だった。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

しかし要点はタンクローリーの形状云々ではなく、”なんで楕円?”という問いを発した点にある。
学校では問いは当然の如く与えられていて、その答えを得る方法を学ぶ。
しかし、問いを発することも学力の一部である。
我ながら、よくぞこの疑問を抱いた、と感心した。今までにタンクローリーを何度も見ている私ではあるが、今日のような観察は初めてだろう。
では何故今日に限って私はこの問いを発することができたのか?自分でもよくわからないが、車の後部座席で退屈していたから、また特に考え事のネタが無かったから、ではないかなぁと思う。それから適度にリラックスした状態だったからとも思う。
これが真実ならば、意図的に頭脳に暇を与えてやるのも立派なテクニックといえるだろう。
週7日、168時間仕事に没頭してはいけない、ということですね。



Saturday, August 4, 2012

逆算

人によって人生の目的は異なるかもしれません。私の場合、その目的はとりあえず生きることそのものを満喫し、自分の一生の生き様を世界最高の美術品と思える死を迎えることです。
具体的にどうやって?というと自分でもまだ解らないです。今は闇雲に生きながらえている状態で今死んだら無念でしょう。とりあえずは日々を充実させることくらいでしょうか。

数学では答えから逆算して問題を解く手段があります。人生は逆算で考えると上手くような気がします。もし理想像や目標があるとします。そこから逆算、どうやったら理想に近づけるか、その対策を講じます。ゴールがはっきりしている分、対策は立てやすいと思います。
逆に目標や理想像が見えない段階で答えを探すのは難しそうです。闇雲に迷路をさまよいながら、問題の答えを探す。これはこれで楽しいかもしれませんが、私にはその試練は厳しすぎる気がします。というわけで、とりあえずは理想像を探しながら生活を続け、見つけたら逆算です。


Friday, August 3, 2012

学力の数値化

学力は一本の数直線で表せないとは考えられてはいるものの、結局どこもかしこも試験結果などで数値化して学生の学力を測っているのが実状でしょう。この数字の為に一体どれほどの人が苦しんでいるのか、それこそ測りしれない。
このケースでは数値化は不可能もしくは不正確かもしれないが、数値化しない場合は大人数を比較することなど到底かなわない。比較が必要ない世界なら学力の数値化は不要になるかもしれないが、近い将来にはそのような世界にはならんと思う。学力の測り方を改善するか、異なる統計値を試すなどして学力の判定の精度(制度)を改革は有意義であろうか?
コンピュータの性能が著しく向上した現在、ビジネスやスポーツの統計だけでなく、学力の測り方も工夫してしかるべきと私は考える。私は野球が好きだが、一人の野球選手に試合数、打数、安打数、本塁打数、打率、出塁率、長打率、など打撃だけでも沢山の指標が存在する。学力もマルチに指標があれば、学生の多面性に気づけるようになるかもしれない。


Thursday, August 2, 2012

生き甲斐?

人間以外の生物は”生き甲斐”という概念を持ち合わせているのだろうか?
まぁ、持っていないだろう。
思うに”生き甲斐”について悩むのは半端に知恵を身につけた人間だけだろう。
知恵が全くなければそういう抽象的なものに思い煩うことはあるまい。
己の道が見えている人や自由の全くない人ならば、”生き甲斐”なぞ考える必要がないと思う。
自由が私のような凡人を悩ませるのだ。

平和な世の中にあって"生きること”そのものの素晴らしさを認識するのは難しい。
だから”生き甲斐”という曖昧なものにすがるのだろう。
私のような凡人にとって自由という大海で遊泳するのは至難かもしれない。
おぼれかけながら何時までも”生き甲斐”という舟を探すのか、
それとも只自力で人生を泳ぎきるのか?

私はその選択すらしていない。まぁ、どちらでもよいか、とも思う。


Wednesday, August 1, 2012

焦点をぼかしてみる

何も書くことが無い日が続くと、ブログの更新が億劫になってきます。
問題を解くことへの考察を止めたわけではないのですが、特に書くことがない日が多い。
まぁ、毎日研究しているわけではないから、一つのテーマでブログは無謀であったかな。
書きつづけるには、題材を限定しすぎないようにしてみようかな。
テーマをいくつか作る方が健康的だろう。
長く書き続ければ、自分が一番書きたい事もみえてくるかもしれない。
やってみるか。