Tuesday, December 18, 2012

私達は”I"の存在を認めている・・・。

私はこの世に存在しているのか?
今日の授業中、虚数iの意義について尋ねられた。
よくある質問なのだけれど、
私達の存在性自体虚数そのものなのではないか、なんて思った。
私はこの世に本当に存在しているのか???
実際怪しい。勝手に自分を存在する者として認識しているが、単にそう思い込んでいるだけかも。
ま、存在しているものとして扱った方が何かと話がわかりやすい。
So here i am.



Monday, December 17, 2012

藤原佐為がみつけたもの

漫画”ヒカルの碁”に登場する藤原佐為は平安時代の天才棋士。
彼の碁を極められなかった無念が、現代の少年ヒカルに憑依するところから物語が始まる。
佐為は囲碁に自分の全てを賭けていて、自分の囲碁を完成させる
(作中では”神の一手”と表現されている)ために往生できなかったのだ。
佐為は初めの頃は結構自分勝手で、彼は自分が囲碁ができれば幸せのようであった。
佐為はヒカルの思念に話しかけることができるようだが、自分の肉体が無く、ヒカルの肉体を強制的に操れるわけではなかった。しかし彼の影響力は大きく、ヒカルが棋士の道を進むようになったのは間違いなく佐為の存在によるものである。佐為はヒカルに碁を指導しはじめる。しかりヒカルの為ではない。佐為は現代のトップ棋士塔矢行洋と戦う機会を作る為に、長い月日をかけてヒカルをいっぱしの棋士をさせるという狙いを秘めていた。
物語中盤、ついに佐為は塔矢との対局を実現することに成功。
彼はそこで、自分の碁に”神の一手”の手応えを掴んでいた。
しかし直後のヒカルとの会話で、彼は自分の存在意義を知ってしまった。
神の一手を極めることが彼の存在意義ではなかったのだ。
”塔矢との一戦を後進のヒカルに見せるため”、自分のもつ囲碁の知恵・技をヒカルに伝授するためだったのだと!
その後ほどなくして彼の魂は無事往生する。

今、私は囲碁のかわりに数学を教えている。
でも生徒の為というよりは、自分の指導法の模索そのものに興味が向かっているよう感じる。
私は佐為のように無事往生できたらどれだけ至福なことだろう。
しかし、彼と同様に何年も自分の没頭するものに取り組んでようやく悟れるものなのかもしれない。



Sunday, December 16, 2012

直前に再確認を取ること!

土曜日にあったパーティの為に前日に同僚から借りておく必要のあったものがふたつあった。
Pさんから道具sを、Qさんから道具tを借りたいことを口頭で伝えて、その場でOkサインを貰った。
そして金曜日にはPさんから念のために道具sを借りたいことを伝えたら、そのことを忘れていたようで、急いで準備してくれた。これは電子機器で事前に充電しておく手間がかかるし、パーティー当日には受け取る機会がなかったわけで、確認しておいて事なきを得た。

Qさんからの借りるものは、事前に金曜日にある場所に置いてもらうように話が進んだのだが、金曜日に確認をすることを私は怠ってしまった。そして、土曜日になってその場所にtがおいてないことに気づいて慌てて折角の週末なのにQさんに電話をした。電話でQさんからtを保管してあった部屋から外に出してもよいという許可を得て、まぁ借りることはできた。Qさんは金曜日にtを出しておくことを忘れていたことを電話で謝ってくれたが、実際は借りる側の私の不手際の方が問題なのだ。

次回からは一度話しをつけても、双方”ミスをしてしまった”、という罪悪感を感じさせないように直前に再確認をするよう心がけることにする。

”どうでもいいじゃん、理由なんかねぇよ。”

今年の成果を挙げるとすれば、以前より自分の将来について思うようになったこと。
でも、今自分はどんな仕事をしたいのか、またするべきなのかが見えない。
学校の先生はやりがいのある仕事だとは思う。だけど、教育の成果が見えない厳しさがある。
知識を叩き込むだけなら学力テストや有名校進学率(率よりは数で誤魔化すべきか)で測ることができる点で塾の仕事は単純だ。
人間性の涵養?その測定不能のものに一生、懸命に取り組むことはできるのか?
またそれは己の一生を捧げるに値する仕事なのか?

こんな非生産的な迷いごとに悩み続けて一生を終えるシナリオは避けたい。
あぁ、人は一体何の為に生きているのだろうか?
数年前に私が思索の末にみつけだした答えに今の私は満足できていない。








Tuesday, December 4, 2012

象牙の塔の住人

私は別に何かを研究しているわけじゃないけど、
私は現実世界を直視していないと感じる。
漠然とだけど理想とする世界や生き方があり、現実世界を知れば知るほど幻滅する。
正直、現実世界の醜い部分は見たくない。

私が観ている世界はいつも私の精神だけだった。
私の考えること、心の動きにしか興味がなかったように思える。
私が取り組んだことのある問題は学校で出される問題(数学の問題)だけで、社会が直面している問題には一切関心をもっていないのだ。
自分の世界に閉じこもっているのだ。それは今でもさして変わっていないよう感じる。
変わりたいという欲求を自分の中に感じ取ってはいるんだけどねぇぇ。



Monday, December 3, 2012

増減凹凸表!

今の職場で微分積分を教えるのは今年で3年目になる。

現在、第一次導関数と第二次導関数を利用して、関数のグラフを描く問題を説明するところ。

去年までは全く気にならなかったのだが、今年気になった点がひとつある。
それは、fの増減とf’の符号をまとめた表のことは”増減表”というのだが、
f’’まで含めた表には特に名称がないことだ。

私の手元にある教科書には見当たらない。
アメリカの教科書を調べても特に名前を与えていない。Sign Table, the tableくらいだ。
表の書き方は教科書によって微妙に異なる。縦と横が逆だったり、f、f’、f’’の順番が違ったりする。それは構わないのだが、表に名前がないは不便だと感じたので勝手に命名することにした。

f’の符号とfの増減の表は教科書どおり”増減表”
f’’の符号とfの凹凸の表は”凹凸表”

そしてf’’、f’の符号をまとめた票は、”増減凹凸表”

何のひねりも無い。
でも解りやすいことが一番大切。
そう思ったので、ここでは私の優れたネーミングセンスを披露しないだけさ。







Sunday, December 2, 2012

解はひとつとは限らないのが世の常よ

恩田陸の”ユージニア”を読んだ。
ミステリー物である。
数十年前に起きた毒殺事件を、色々な人物の観点から振り返ってみる感じで話が進む形式。
事件の真相が気になってしまい熱中して読んだ。
徐々に、事件の真相が明かされていくのだが、最後の最後まで犯人だ誰々であるという確証もなく、真実が不明のままで終わった。

名探偵江戸川コナン君ならば、”真実はいつもひとつ!”とか言って真相を解明してくれ、読者にカタルシスに導いてくれるところだが、恩田さんはそうしてくれなかった。

しかし確かに実際の事件には真相が明かされぬまま闇に葬られるケースは数多あるだろう。
第一、人間の知覚、認識力には限りがあるわけで、与えられた現状(データ)から過去の状態を100%再現できないはずだ。実際科学ではニュートンの運動方程式などの武器があっても、データには誤差はつきもの。また我々が認識していない隠れた要素もあるかもしれない。カオス的な要素がなくても、過去を100%は再現できているわけでない。Aの状態であった可能性~%、Bの状態であった可能性~%といった具合に表現するしかない。

読書中の私は毒殺事件の方程式の解が一つだけ存在し最後には求まると思って読んでいた。
しかし、著者の用意した解答は解は存在するだろうが、解の値を特定できない、であった。
真実は一つとは限らない、ということか。
数学で方程式の解が一つと決め付けている学生達は江戸川コナン君の傲慢な思い上がりに毒されているのかもしれない。ミステリーに疎い私がこの事件の絶対の解が一つだけあると思い込んでいたように。






Saturday, December 1, 2012

今月こそは!

11月も目標のブログ更新10回を達成できず。

目標が高すぎるとは思えない分、2ヶ月連続で目標に届かないと自分の能力に疑問を抱かざるを得ない。
11月は何がダメだったのだろう。

まず自宅でインターネットが使えなくなった時期が2週間ほどあったこと。
次に11月中旬は仕事に忙殺されていて、疲労が溜まっていたこと。
実際にこの時期に体調も崩した。

ブログに書く内容がパッと出てこないのは、じっくり考える時間を設けることに失敗しているからだ。
学校に居残っていると、他人との会話や雑務が優先され、私は思考停止状態になっている感がある。


12月は冬休み中、旅行する予定でインターネットは使わないだろう。
となると、20日までに2日に1度のペースでやらないと目標達成ができない。
自分の孤独な時間を作るよう努力するしかない。
第一に余計な残業時間を削ること。仕事後、帰宅して疲れ果てて頭が回らんことのないように。
第二に惰眠を減らすこと。頭がすっきりしている朝の時間をもう少し増やしたい。
第三に散歩時間を作る。散歩中は思考整理ができている気がするからだ。

今月は本気で取り組みたい。