漫画”ヒカルの碁”に登場する藤原佐為は平安時代の天才棋士。
彼の碁を極められなかった無念が、現代の少年ヒカルに憑依するところから物語が始まる。
佐為は囲碁に自分の全てを賭けていて、自分の囲碁を完成させる
(作中では”神の一手”と表現されている)ために往生できなかったのだ。
佐為は初めの頃は結構自分勝手で、彼は自分が囲碁ができれば幸せのようであった。
佐為はヒカルの思念に話しかけることができるようだが、自分の肉体が無く、ヒカルの肉体を強制的に操れるわけではなかった。しかし彼の影響力は大きく、ヒカルが棋士の道を進むようになったのは間違いなく佐為の存在によるものである。佐為はヒカルに碁を指導しはじめる。しかりヒカルの為ではない。佐為は現代のトップ棋士塔矢行洋と戦う機会を作る為に、長い月日をかけてヒカルをいっぱしの棋士をさせるという狙いを秘めていた。
物語中盤、ついに佐為は塔矢との対局を実現することに成功。
彼はそこで、自分の碁に”神の一手”の手応えを掴んでいた。
しかし直後のヒカルとの会話で、彼は自分の存在意義を知ってしまった。
神の一手を極めることが彼の存在意義ではなかったのだ。
”塔矢との一戦を後進のヒカルに見せるため”、自分のもつ囲碁の知恵・技をヒカルに伝授するためだったのだと!
その後ほどなくして彼の魂は無事往生する。
今、私は囲碁のかわりに数学を教えている。
でも生徒の為というよりは、自分の指導法の模索そのものに興味が向かっているよう感じる。
私は佐為のように無事往生できたらどれだけ至福なことだろう。
しかし、彼と同様に何年も自分の没頭するものに取り組んでようやく悟れるものなのかもしれない。
ふーん、そういうストーリーだったのね。大事なところを見落としていた。
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