Friday, June 21, 2013

次の世代へという考え方

私は今も着実に死に向かって突き進んでいる。
死は人生の最終到達点だ。
それがいつになるのかはわからない。
でも満足できる死を迎えられるよう日々頑張ってゆきたい。

ところで、私は自分の死=世界の終焉という考え方をしているようだ。
相変わらず自分本位にしか物を見れていないわけだ。
だから自分が幸せならOk的に物事を捉えてしまうのだろう。
少し前にNASAの科学者の話が記事に出ていた。
読んでいて私が衝撃を受けたのは、現代の科学の凄さではその科学者の未来像だ。
100年後、500年後の世界の話をしている。天文学的な数字というほどでもないけど、500年後のことなんて私はイメージした事がない。それは自分とは一切関係のない世界という認識からだ。
でも彼らは違う。彼らは真剣に人類が太陽系外に進出することを夢見ている。
彼ら一代では到底成しえないことだろう。でもその500年後につなげるために日夜研究にいそしんでいるのかと思うと、自分とは全く異なる価値観に生きているのだぁと感嘆させられた。
私は数学一筋で生きていこうと漠然と思っていたけど、それが怖くなった。例えば双子素数が無限にあるのか、とか素因数分解の効率よいアルゴリズムとか、リーマン予想の証明とか取り組んでみたいなぁって思ったものは幾つかあったけど、自分の一生のうちに成果をあげられるのかという不安に克つことは出来なかった。でもここに出てきたNASAの科学者は自分一人で解決できなくても、答えに一歩ずつ前進することに命を賭けることができる人達なのだ。
私は自分が成果をあげる、そういう自己顕示欲の塊なのであって、純粋に人類の科学の発展に貢献するという考えは持ち得なかった。科学史の潮流の中に無数に存在する人々ではなく、その中の一部の大きな成果を出した恒星でなければ無意味だと考えていた。
たとえ自分が輝けなくても、他の人が輝く為の布石になることで意味を見つけられないのか?
他の人っていうのは、現代に生きる人だけなく、100年や500年先の人の入るということに気づかされた。死は私の最終到達点ではあるが、人類史にはまだ続きがある。
私はその続きにも責任の一端を持っていることを自覚しなければいけないのだ。
環境問題に真剣に取り組む人々の気持ちが少しわかった。

1 comment:

  1. いいね!このエントリー。歴史に残る発明や発見をした人だって、名を残せなかった多くの人々の研究や努力のがあってこそ有名になれたんだと思う。卑近な例だけど、会社でえらそうにしている社長だって、一人で社長になれるわけじゃないからね!歴史に名を残す大統領だって、自分ひとりで何が出来るわけじゃなし。人間が他の生物と違うところがあるとすれば、それは一人ひとりが経験したこと学んだこと、発見したことを周囲の人たちや次世代に伝えられるってところとだと思う。そしてそれを土台にしてさらに進歩が可能になる。まあ、今の人間のレベルじゃあ必ずしもみんなが良い方向へ向かうとは限らないのが要注意だけど。相手を思いやる心、みんなの幸せや発展を願う心が大事かな?

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